カレーになりたい 181219

ルアンプラバーンにあるビストロに行って、ワインを飲みながら、バッファローのステーキを食べた。ミディアムに焼かれたその肉は、すばらしい火入れでおいしかった。
もともと酒に弱い上に、日々、取材で疲れているからか、さっさと酔っぱらう。会計を済ませて店を出て、暗い夜道をゆっくり歩いた。10分、20分、30分。ホテルはすぐ近くなのだけれど、その周辺をグルグルと回る。
いろんなことを考えた。学生時代、バックパックであちこちへ一人旅をした。旅に出るたびに僕はホームシックになった。といっても誰かに会いたくなるわけではない。一人で旅先にいることがむなしくなるのだ。
新しい旅先での日々に慣れてくると、必ず僕は、考え事を始めてしまう。それがいけない。
「いったい何をしに僕はこんなところへ来たんだろうか」
「僕が今、この地にいる意味は何かあるのだろうか」
考えてはいけないことを考え始めてしまう。学生時代のバックパックなんて、たいした目的はない。自分探しをしに行っているつもりはなかったが、写真を撮ること以外は自分がそこにいる理由は見つからなかった。
対照的に旅先ですれ違う誰もが、何か意味があって、目的があってそこにいるように思えてくる。この世界で意味もなく存在しているのは自分だけなんじゃないか、みたいな気持ちになってくる。
何者かになりたい。
いつも、旅先でそう思った。目的を持ってその地を訪れられる何者かに。
そんな調子だったから、興味もない観光名所なんかにたまたま足を運んでしまったりすると最悪の気持ちになった。
今日、とあるカレーが食べたくて向かった超高級リゾートホテルで、食事をしていたら、オーナーが話しかけてきてくれた。
「ようこそ」とにこやかに挨拶をしたうえで、
「さっき、キミはうちの調理場でクッキングの見学をしていたけれど、料理に興味があるの?」
僕は名前を名乗り、それから、「シェフ兼ジャーナリストだ」と自己紹介をした。海外で誰かに会うときは、たいていそういうようにしている。昔は、「料理人だ」と言っていたこともあるけれど、「レストランはどこにあるの?」と聞かれて説明が難しくなるから、「ジャーナリスト」とつけるようにしている。まあ、本当のところは、どちらでもないといえばどちらでもないのだが。
それから、相手がもう少し興味を持ってくれたときには、「スパイスやカレーに特化したシェフであり、ジャーナリストだ」と付け加えることにしている。
スウェーデン人だというそのオーナーは、その話を聞いて、
「カリージャーナリスト!」
と素っ頓狂な声を上げた。
「そうですよ。いろんな国のカレーやスパイスを探求しているんです」
と僕が自信満々に言うと、
「すると、キミはカリートレイルをしているってわけだ」
「そう」
「カリージャーナリスト!」
今度は感慨深くそう言った。その後、ルアンプラバーンの歴史の話や、このレストランのコンセプトの話などを簡単に聞いた。話の最中に彼は、「カリージャーナリスト」と独り言をいうように2度3度つぶやき、それから、もう一度僕のほうに向かって、こう言った。
「カリージャーナリスト、その肩書き、すごく気に入ったよ!」
学生時代、旅先で何者でもない自分を再確認して途方に暮れていた僕は、今、世界のどこへ旅するときも明確すぎる目的を持って日々を送れている。奇跡のような話だ。
まだ酔ってんのかな、あの日の自分に教えてあげたいと思った。

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