カレーになりたい 181218

ルアンプラバーンに到着したその日の夜に訪れた、メコン川沿いのテラスレストランで、ココナッツミルクを使った煮込み料理を食べた。それが、化学調味料をどっさり使ったものだったようで、あれがキッカケで化学調味料センサーが完全に開いてしまった。
その後、何を食べても、口の中がなんとなく気持ち悪い状態が続いている。まあ、東南アジア諸国は、おそらく全般が化学調味料文化でもあるわけだから、避けては通れない道なんだろう。それにしてもここまで強烈なのは久しぶり。僕は化学調味料に対して、嫌悪するほどの感覚はないから、とっても上手に使ってくれている分には問題ないのだけれど、あからさまな添加はやはり厳しい。
自分が作るときには化学調味料は絶対に使わない。それに準ずるものも使わない。特にここ数年は、「正体のわかっているものだけでカレーを作る」というのが自分のポリシーだから、ここ、ルアンプラバーンにきて改めてその大切さ(自分のスタンスとしての)を実感した。
一方で、ハーブ(フレッシュスパイス)の香りのよさは抜群で、市場でもハーブや葉ものは手に取って香りをかぐとすばらしくいい香りだし、その辺の屋台でカオソイなどの定番メニューを食べてもミントやライム、バイマックルー、パクチーなど、どれも素晴らしい香りだ。それだけにやっぱり化学調味料が残念。大きなプラスを大きなマイナスでゼロにしてしまっているセンスは、東南アジア独自のものなのだろうか。台無しというより彼らからすれば共存という感覚なのかもしれないけれど。
それで思い出したのが、少し前のさぬきうどん体験だ。さぬきうどんにハマって2泊3日で20軒以上とか、食べ歩くツアーを友人たちと何度も繰り返し実施していたのが、今から15年近く前。あの当時、僕が一番好きだったうどん屋さんのテーブルには、味の素がポンと置かれていた。あの光景に僕は目を疑った。この店のさぬきうどんは、塩と小麦粉と水だけで作る超ストイックなものだ。混じりけのないしょう油をまわしかけた“生醤油”を食べて、「これまでの人生で僕が食べてきたのはうどんじゃなかったのかもしれない」と思うほどうまかった。それなのに、おそらく、現地の人は昔から、あの極上のうどんに味の素を振りかけて食べているのだ。各テーブルにひとつずつ置かれた小瓶に頭が混乱したことを思い出す。大きなプラスを大きなマイナスでゼロにする料理は、日本国内にも普通にあるのだろう。いいとか悪いとかではなく、そういうものなのだから、選ぶか選ばないかを食べる側が決められるさぬきうどん屋さんスタイルはまだ良心的なのかもしれない。
昨夜、レモングラスに鶏ひき肉を詰め込んだ料理を食べた。詰め物にはきっと化学調味料がいたのだろうけれど、ほかの料理ほどは強くなく、ここルアンプラバーンで食べたもので今のところダントツにうまい料理だった。あれをまじりけのないスタイルで食べたい。日本で再現してもあの素材がなければその味にはならないだろう。誰か、ここ現地で超ストイックなレストランを開いてくれないかなぁ。
 

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