カレーになりたい 181115

川菜博物館という四川料理の博物館に行った。
館内の中庭に豆板醤を漬け込んだ大きな壺がずらっと何十個も並んでいるエリアがある。訪れたことのある友人に写真を見せてもらった場所だ。彼女曰く「そこで売っている豆板醤が無添加ですごくおいしかった」とのこと。それを思い出す。ショップを見ると確かにその豆板醤は売られていた。
なんとなく素通りし、他を見て回る。帰りにもう一度、豆板醤の場所に戻った。
なんとなく買う気がしなかったから、結局買わずに帰ることにした。
地下鉄の駅に向かうバスに揺られながら、考えた。ああ、僕はあの豆板醤を買わなかったんだな、と。食に興味があってあちこち海外へと出かけている、信頼のおける友人の薦めてくれた豆板醤だというのに。なぜ僕はあの豆板醤を買わなかったんだろうか。
昔の僕だったら、美食に興味のあった当時の僕だったら、まるでスタンプラリーを片っ端からクリアしていくかのごとく、当たり前のように豆板醤は購入していたはずだ。でもあのとき、僕は豆板醤を買って帰国した後の自分をぼんやりと思い浮かべ、「別に使わないかな」と思ったから、「ま、買わなくていいか」と思ったのだ。なんとなくその気にならないからやめておく、みたいな行為をするようになったのは、いったいいつからなんだろう。
割と理性的な人間だと思い込んでいたけれど、昔に比べて割と感情的に動く人間に変わってきたのかもしれない。豆板醤を買わなかったことでそのことにハタと気がついたのだ。そう考えてみれば、今の僕は、「なんとなく」という自分の感覚に基づいてほとんどのことを判断している。
なんとなくやっておくか、なんとなくやめておくか、
なんとなく行っておくか、なんとなくやめておくか、
なんとなく食べておくか、なんとなくやめておくか、
なんとなく会っておくか、なんとなくやめておくか……
人って変わるもんだな、と思った。そうか、自分は変わるんだ。自分が変わるように誰かも変わるんだ。
それで思い出したことがあった。最近、とあるカレー店のオーナーと話していた時に、彼はこんなことを言っていた。「この世界、『人(人材)が一番大事だ』なんて言われてますけどね、大事なのは人よりも場所、立地ですよ。人の気持ちは変わりますから。自分の気持ちだって変わるんだから信用できない」
2時間ほどいろいろと話を聞いた中で、彼のあの発言は、強烈に覚えていることの一つだった。似たようなことは最近、リーダーも言ってたな。きっとそうなんだろうな。
“豆板醤事件”のおかげ(?)で思わぬことをあれこれと考えた。50分かかるバスはようやく地下鉄の駅についた。

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