カレーになりたい 181108

長い一日だった……。
前夜、カレーの学校のあとにいつものように生徒さんたちと深夜1時30分過ぎまで飲んで帰った。翌朝、カレーの車の仕込みのため、6時に家を出る。順調にオレンジカレーを作り、車に積み込んで、永田町の会場へ入った。はずだった……。
セッティングを始めたリーダーが「あれ?」と一言。カレーの鍋がない。オープン直前の11時29分、目の前にはすでに20人近くのお客さんが並んでいた。最も大事なカレーの鍋を調理場に置いてきたのである。カレーの車にカレーの鍋が積まれていない。お客さんに事情を説明し、待ってもらうことにした。チームメンバーの西山くんがバイクを飛ばし、鍋を取りに行く。往復40分はかかる。この間、僕は、メニュー看板をひっくり返してペンを持ち、都内のオススメのカレー店情報について裏話を交えてたくさんしゃべって場をつないだ。ただ、つないだという意識はなかった。お客さんたちが本当にみなさんいい人たちばかりで、ニコニコと話を聞いてくれたから、ただ、夢中で話をしたのだった。30分を超え、そろそろカレーが到着するころかなという頃、相変わらずお客さんにカレー話をする僕の背後、カレーの車の裏側で「ウソ!?」という声が聞こえた。誰の声だったのかわからない。でも、明らかにそれはさらなる緊急事態が起こっていることを伝える悲鳴に近い声だった。
メンバーの渡辺くんがしゃべっている僕の背後に近づき、「水野さん、ちょっと……」と声をかける。僕は話を中断して車の裏へ回った。事態は予想以上に深刻だった。
バイクですっとんでいった西山君が、途中、路上のどこかにカギを落としたという。調理場に入れない。ビルの管理人に事情を説明したところ、調理場の家主ではない人間にスペアキーは貸せない、とのこと。管理会社との約束でそうなっているという。家主の渡辺君は、現場の永田町にいる。管理会社に連絡をしたところ、1週間の休み期間のため、つながらない。要するに、調理場に戻ったが、扉の向こうにあるはずの鍋を持ち出せないというのだ。万策尽きたといった調子で渡辺くんがうなだれ、リーダーが黙っている。僕ももうこれ以上何もできることは思い浮かばなかった。
お客さんの前に戻り、事情を説明する。僕らと同じくお客さんたちも動揺を隠せないようだった。こんなことが起きるものなんだろうか。映画やドラマじゃあるまいし。いや、映画やドラマでも「設定に無理がある」と言われそうな展開だ。ただ、「ごめんなさい、今日は営業できません」だけでは申し訳ない気がして、その場で僕が持ち合わせていた「LOVE SPICE」という小冊子に番号を書き、それを次回の「カレーの車」の無料チケットにさせれもらった。謝りながら配る。ぞろぞろとお客さんが帰っていく。どうにもやりきれない気持ちになった。
最後にカレーの学校の卒業生たちが5人ほど残った。車はもう営業できないのだから、せめて彼女たちとランチに行くことにした。遠方からかけつけてくれた人もいたから、それくらいは、と思ったのだ。
その日の僕は、13時の新幹線に乗って浜松へ日帰りする予定があった。夕方に講演会でお話をさせていただく予定があったからだ。新幹線を1時間遅らせよう。浜松に入ってかなりバタバタするけれど、僕自身もこの事態に何ごともなかったかのように新幹線に乗れる精神力はない。車を離れ、隣のビルの中国料理店へ行って麻婆豆腐を注文した。ふとスマホを眺めると、カレーの車のグループに佐藤くんからメッセージが入っている。佐藤くんは、このプロジェクトのメンバー5人(渡辺、西山、リーダー、佐藤、水野)のうちのひとりで、この日はカレーの仕込みには間に合わないが、客として現場にバイクで顔を出しに来ていた。佐藤君は、僕たちがバタバタしている間、何をするわけでなくただ、事態を静観していた。どうしようもなかったし、何もすることがなかったから。その佐藤君からのメッセージは、すぐには理解できないものだった。
「あった!」
ここから先のことは、メンバーが5人ともそれなりに興奮してやり取りをしたけれど、その感じは、どうにも記録しようがない。ただ、メッセンジャーのやり取りを控えておきたいと思う。
 
佐藤「あった!」
水野「?」
渡辺「一応かれーもってきてもらっています」
「鍵、道端で見つかったとか」
「間に合った人だけ配りますね」
「しかし路上で見つかるとは……。
 これはこれで運がいい」
佐藤「まだ13時ですよ!」
  「13時10分からでいけるんじゃないですか?」
水野「再開しましょう
   何時にカレーは到着予定ですか?」
   それまでに戻ります」
渡辺「了解
   それまでにこられた方にはライスとカードを配ります!」
水野「ツイッターで再開告知しますね」
渡辺「お願いします」
佐藤「少し待ってもらった少し行列で、人集まるんじゃないですかね」
水野「ほんとにカレー、向かってるよね。いま、告知しちゃったけど」
佐藤「西山さんに一度連絡してもらえればよいかと」
西山「今、調理場に着きました。
   本当に申し訳ございませんでした」
渡辺「カレー持ってきてください」
西山「タクシー乗りました。」
水野「無事カレー到着しました
   佐藤くん、ありがとう
   あとでカレー弁当届けられると思います」
 
鍵は見つかったのである。カレーが予定より2時間遅れて車に到着した。そのとき、僕はもう浜松行きの新幹線に乗っていた。
あとで聞いて話によると、お客さんたちが帰っていき、現場で取り残され、打ちひしがれる渡辺君と西山君のそばで静観していた佐藤君が口を開いたそうだ。
「鍵、探しに行きますよ」
鍵を探すって、片道20分ほどをバイクで通過した道路のどこかに落とした鍵をどうやって見つけるというのだろうか。落とした張本人である西山君は、佐藤君の意外な提案を受け止め、ふたりでバイクを並走し、一度走った道をもう一度たどったという。すると、皇居前の大通りのオレンジ色のラインの上に西山君が落とした鍵があったというのだ。
佐藤君は、そのときのことを「見つけた瞬間、泣きそうにうれしくてバイクほっぽり出して抱きつきそうになりました。危なかったです」と振り返った。
現場をすでに離れ、新幹線に乗っていた僕はことの顛末を知って全身のチカラが抜けていくのがわかった。前夜、3時間ほどしか寝ていなかったせいか、それとも極度の緊張から解き放たれたからか、急に頭がくらくらとし始めた。そして、同時に思った。
佐藤君、キミはなんて男なんだ……。
あの状況で、おそらく彼がメンバーの中では一番冷静でいたのかもしれないけれど、それでもあの状況で、「鍵、探しに行きますよ」だなんて、どうやったらそんな前向きなセリフが口から出てくるというんだろう。最後まであきらめず、できる限りのことをするという、佐藤君の執念に、男気に、心底しびれた。こんな人が仲間にいるんだから、どれだけ心強いことか。
安心した僕は揺れる新幹線の中で少しの時間だけだけれど、泥のように眠った。ふと目が覚めたとき、まだ永田町にいるであろうカレーの車を浮かべてこう思った。こんなことがおこったのだから、今日のカレーはお客さん全員に無料配布にしてもいいんじゃないかな。思ったけれど現場にいない僕が口を出すべきことじゃないから、そっとしておいた。しばらくして、またメッセージがあった。
 
リーダー「無料配布終了! 
今からカレー届けます。カレーだけ。飯なし、アチャールなしです。」
佐藤「ありがとうございます! よかったです!」
 
誰の判断だったか知らないし、みんなで相談した結果だったのかもしれないけれど、結果的に今日のカレーの車はすべてのお客さんにカレーを無料配布することにしたようだった。そそっかしい5人組だけれど、意外といいチームなのかもしれないな、と思った。しばらくお休みしていたカレーの車は、ある意味、華々しい再開をした。カレーの車を通じてメンバーが果たしたいことはそれぞれ違うけれど、いいプロジェクトにしていきたいと思う。

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