カレーになりたい 181028

彼女に会いたくて僕は松江に行くことにしたのだった。
でも結果的には彼女のほかにたくさんの人が喜んでくれたような実感を持った。
そういうことってあるんだな、と思った。
何かをしたいという自分の気持ちが先立って、
結果的にその行為が誰かのためになったことを知った時、
嬉しい気持ちがある反面、それでいいのだろうか、と悩みもした。
昔の自分は。
世のため、人のために己があることが尊いと世の中ではそう認識されている気がする。
僕は僕のために行動を起こす。
松江で僕のことを待ってくれている人が少なからずいる。
その人のために僕が松江に行くことに決め、結果的に彼女にも合うことができたら、
それは、たいそう美しい話に聞こえることだろう。
でも、僕は今までもそれではなかったし、今回もそれではなかった。
それでいいじゃないか、と今の自分は思っている。
生まれて初めての松江は、温かい人に囲まれて贅沢で幸せな空間や時間に甘えまくった。
僕がただそこにいるだけで多くの人が喜んでくれているような錯覚にさえ陥った。
極端にうれしく、少しだけ不満だった。
初回はそういうものなのかもしれない。
次も僕は松江に行く。
そのとき、僕の中には、彼女に会いたいという気持ちと
他のみんなに会いたいという気持ちが同じくらい膨らんでいる可能性もある。
ほかのみんなのほうはといえば、「水野がやってくる」という事実が、
初めてではなく二度目になるので、
とってもいい意味で、ありがたみがなくなっているはずだ。
そうなることを僕は強く望んでいる。
遠くから見つめているような感じの人たちや、
はれものに触るような感じの人たちや、
恐れ多いと思い込んで話しかけずにいた人たちが、
いい意味で図々しくなって、僕にコンタクトを取ってくれる。
僕のことをないがしろにしたり、無視したりしてくれる。
そうなれば僕にとって松江はさらに居心地のいい場所になる。
なんか面白いことを一緒にできそうだな、とか、もっとああしましょうよ、とか、
そういう同じ目線で動ける人が増えて、存在のありがたみが薄れてくることを祈る。
そのために、僕は必ずまたここに来ようと思った。

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