カレーになりたい 180919

さっきからずっと口論する声が聞こえてくる。スラバヤの仙人君のオフィスでスタッフと仙人君がやりあっている。いや、正確に言えば、何かのトラブルに対して、仙人君がスタッフ3人に向かって滔々と説いているような感じだ。もう、1時間以上になる。ああ白熱していると、別室で休んでいる僕は、なかなか出ていくチャンスがない。声は割とはっきりと聞こえてくるけれど、インドネシア語だから何を言っているのかさっぱりわからない。1時間半ほど続いただろうか。「ご飯にしましょう」と声がかかったので、恐る恐るみんなのいる場所へ出て行った。
険悪なムードが少し残っていたが、仙人君が何か言ったのを合図にしたかのように場の空気が一変して和やかになった。にこやかにテイクアウトした料理をみんなで囲んで食べる。おそらく20歳前後の女性が3人と男性が1人。さっきまでのことはなかったようにニコニコとしていた。僕はほっとして一緒に食事をした。
仙人君が僕のことを改めて紹介し、どう紹介したのか知らないけれど、女性たちが急に嬉しそうにスマホを取りだして検索し始めた。
「ジンスケ・ミズノ」
仙人君が、スペルを伝えている。僕を見て言った。
「いま、彼女たち、グーグルで検索しています。グーグル検索して情報が出てくるような人が身の回りにいないから、半信半疑みたい」
そんな風にネタにしてしまってすみませんね、みたいなエクスキューズがあったが、盛り上がってくれるなら、それに越したことはない。アルフェベットで検索して出てくるのかな、と思って待っていると、彼女たちから小さな歓声が上がった。画面をのぞいてみると、マンハッタンでイベントした時の画像や、いくつかの著書が出ていた。
「これ、ほんもの?」
みたいなことを聞かれ、仙人君が「そうだよ」と答えると、みんな派手に喜んでくれた。なんか僕はちょっと嬉しかった。このところ何年も、できるだけ目立ちたくないと思いながら自分なりにバランスを取って活動をしている。いまもそのスタンスは変わらない。でも、遠い異国でさっきまで僕のことを知らなかった人たちがこの短いヒトトキでも盛り上がってくれるのは、うれしいことだと思ったのだ。なぜだろう。日本で同じようなことがあったら複雑な気持ちになるのにな。やっぱり見知らぬ心無い人からの攻撃に疲れているからなのかな。日本を離れて海外で活動しようかな、とか一瞬、思ってしまった。
食事が終わって夜の街に少しだけ出かけることになり、さっきの顛末について何があったのか仙人君に聞いてみた。予想通り、スタッフたちの仕事にミスがあり、そのことについて議論をしていたようだ。ただ、そのミスを非難して説教するだけでなく、何がいけないのかを一所懸命説こうとして時間がかかってしまったと言っていた。言われたことをただ行動に移しているのが問題なのであって、それが何のためのものなのかを自分で考えて動けるようになってほしい。そうすれば、こういうミスは起こりえない。初歩的なことだけれど、誰がやった、誰が悪いではなく、なぜそうなったのかを理解してもらおうと時間をかけていた。
それをあんなに長いことインドネシア語でなかなかの調子でしゃべり続けることにも単純にすごいなと思ったけれど、スタッフに育ってほしいと願う愛情やそのための根気に感動したし、直後に和やかな雰囲気に戻せることにも感心した。
日本から遠く離れたこの国で、クオリティの高い商品をひとつでも多く作ろうと孤軍奮闘している。僕には到底できないことだ。
僕は僕なりに自分のやりたいことの延長で、もっと苦しまなければならない。もしかしたら、今の僕は、これまでに積み上げてきた、培ってきたものの中で上手にやっているだけなのかもしれない。そうやって活動を続けるのだけは嫌だと思ったからここ数年、意識的にインプットの機会を増やしてきたつもりだけど、ハッキリ言って、全然足りていないのかもしれない。
もっと困ったり悩んだりつらい思いをしたり苦労したり我慢したりもがいたりしなきゃなぁ。自虐体質なんだし。そうでなきゃ自分のやりたいことは成せないのだろう。
ぼんやりしている時間はないのだな。

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