カレーになりたい 180917

「コウモリを食べないか?」と誘われ、「別に食べたくない」と断った。
「おいしいんだよ」と言われ、「だとしても興味がない」と言った。
「スパイスが結構効いているんだよね」と聞いて、「じゃあ、ちょっとだけ食べてみようか」と思った。
マナドの海岸沿いにある屋台に行った。確かにコウモリっぽい黒い物体がひと口大になって入っている煮込み料理が出てきた。ふたかたまり程度、食べてみる。まずい。正直言って、全然おいしくない、と思った。これがコウモリだと知らなかったとしても、普通においしい料理として食べることはできない代物だった。でも、これは僕がこの料理に対して持った乾燥であり、僕の好みの問題である。いい体験にはなったけれど、二度と食べなくていいと思った。
車で走っている道沿いに小さな屋台があって、ドリアンを売っていた。
「ドリアンを食べないか?」と誘われ、「食べたい!」と言った。
過去に何度か食べた記憶はあるけれど、うまいと思ったことはなかった。うまいよりも臭いが先にくるからかもしれないが、とにかくドリアンは二度と食べなくてもいいと思っていたフルーツだ。それなのに、「食べてみよう」と気持ちが動いたのは、「うまいドリアンはうまいんだろうな」と思ったからだ。
実際に食べてみると、うまい。本当にうまかった。こんなにうまいのか。ねっとりとした食感、まろやかな甘味。その奥のほうに後味的に炒め玉ねぎのような香味とうま味が残る。初めて食べるものの味わいだったが、とにかく、間違いなくこれはうまい食べ物なんだな、と反応した。その昔、二度と食べなくていいと思った味わいを、抜群にうまいと感じていることは不思議なことだ。
人の味覚なんてそれくらいコロコロ変わるものなんだろう。それとは別の視点で、本物に出会うことができれば、嫌いな人も好きになってくれるということなんだろう。
僕がカレーの世界でアウトプットできる“本物”とはなんだろうか。インドネシア・マナドのドリアンのようなものを探してみようと思った。「ドリアンのようなカレーを……」なんて言ったらおえぇ、と言われるだろうな。
ただ、もし、今回食べたコウモリ料理が偽物で、本物のコウモリ料理があるよ、と言われても、僕はその本物はしらなくてもいいな、と思っている。本物のコウモリ料理は例外的にきっとおいしくないに決まっているからだ。

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