カレーになりたい 180822

スパイスライスに興味がある。
今、局地的に流行っているビリヤニのことではない。ジャポニカ米を炊くときにスパイスでフレーバーをつけるご飯のことを僕が勝手にスパイスライスと呼んでいる。どこかに発表しているわけではないけれど、この分野はいろいろやってみたいことがある。
そんなとき、とある炊飯ジャーメーカーの運営するサイトでライスに関する簡単な記事を6本書いてほしいという話があった。自由に書いていいが、関連する写真を1枚つけるというスタイルだ。
ちょっとタイアップ色が強そうな話だったので、普通ならお断りする内容だ。でも、間に入って編集している人がとてもお世話になっている人だったから、受けることにした。受けることにしたが自分からは発信しないことにした。受けることにしたからにはちゃんとやろうと考えた。
そのサイトは、何人もの料理にまつわる人達が同じようにライスに関する素敵な記事を書いている。自分にしかできないことを、と考えて、かねてから関心のあるスパイスライスで6本書こうと決めた。写真はスパイスを加えて炊きあがった釜の中と決めた。僕は、フォーマットを自分で決めてそれにそって連載していくスタイルが気に入っている。原稿も写真も企画も統一フォーマットに沿ってアーカイブが並んでいくと愛着がひとしお湧いてくる。そういう性格なのだと自覚している。
メースライス、サフランライス、と2本の記事を書いて、次をシナモンライスにしようとご飯を炊いたところで担当者から連絡があった。
「炊飯ジャーの中に写真を統一してもらっていますが、他にもカレーと一緒の写真とかバラエティがほしい」というようなリクエストだった。このリクエストメールをもらった瞬間に、正直言うとこの企画に対する僕の気持ちは一気に冷めた。
リクエスト自体は、理解できるものだった。炊飯ジャーメーカーがご飯のある暮らしを推奨するためにサイトがある。そこに素敵な料理家さんたちがあんな風景、こんな風景をアップしている。そこにきて、僕が毎回、釜の中のスパイスライスばかりを上げていたらきっとテイストも合わないのだろう。
でも……。ご飯のある素敵なライフスタイルを紹介したいのなら、ステキな人たちにお願いしたいほうがいい。そんな素敵な暮らしを僕はしているわけではない。やっぱり、この話は断るべきだったのかな。なんてことも頭を過ったが、変に突っ張っても仕方がない。求められていることを実行するべきときもある。僕は、シナモンライスだけは撮影も終わったし、過去の2回と同じフォーマットで書くことを許可してもらい、残りの3回についてはスパイスライスをやめてカレーもある何か知らの風景で書くことにした。それはそれで、依頼を受けている以上、ちゃんと写真を撮り、ちゃんと原稿を書いている。でも、僕の気持ちは残念ながらもう、そこにはない。
あの短い連載に関して、次はどんなスパイスライスを炊こうかな、とワクワクしたり、関係ない時間に妄想したりする楽しみはなくなった。原稿だって、非常に短いけれど、毎回、そのスパイスにまつわる僕の大事な友達のことを登場させたりして思いを込めて書いていたのだ。6本では何も起こらないかもしれないけれど、10本以上とか20本とかアーカイブが残ったら、何かとてもキラキラしたものになる予感を持って前向きに取り組んでいたのだ。
こういうことは、ときどきある。僕が面白いと前向きになっているものと、相手や周りが求めているものとが違う。仕方がないことだと思う。多くのアウトプットは、(それがどこかの誰かに頼まれたものであれば必ずと言っていいほど)受け止めてくれる人のために発信するべきだと思う。
3回で企画倒れに終わったスパイスライスのコンテンツは、僕の中に残り続ける。誰かに頼まれた場所ではなくて、誰にも頼まれていないけれど僕が積極的にやれる場所を見つけて、この先、どこかで日の目を浴びるときがくるだろう。それを空想するとまたワクワクしてくる。
そんなこんなを考えながら、さっき、5本目のライスの原稿と写真を担当者に送った。ちゃんと書いたし、みんながそこそこ喜んでくれる内容になっていると思う。……なあんて思いながらこの日記を書いていたら、早速担当者から返事があった。
「ご寄稿、お忙しいところありがとうございます! 息を殺して撮影されている臨場感と、カレーの香り、熱さが伝わってまいりました」
本当によかったと思う。「これでいいのだ」とバカボンのパパも言っている。誰かが求めていることをアウトプットできる喜びは僕にも当然あるし、何より求められるという需要があることをうれしく思うべきなんだろう、と思った。
その一方で、またしても僕にだけ妙な疎外感が残る。これはどうしようもないことなんだろうな。

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