カレーになりたい 180406

「対談を読んで、水野さんの考えに激しく共感しました!」と昨日会った人に言われ、
「対談を読んで、水野さんのことがわからなくなりました」と今日会った人に言われたのである。
どちらも打合せで会った人で、初めて顔を合わせる水野のことを知っておこうと、
ネットに出ている糸井さんとの対談記事を読んでくれていた。
同じ記事を読んで、共感した人とわからなくなった人がいる。
どちらも僕にとってはうれしいことなんだけど、不思議なことだな、と思う。
最初に持っていたイメージや会う目的なんかによって印象は変わるのかもしれない。
ま、どっちもありかな、と僕は思っている。
あの記事の中で、僕は自分の肩書がわからない、自分のことを説明しようがない、と話し、その流れで糸井さんが、「いっそのこと、カレースターとか言っちゃえばいいんじゃない?」とアドバイスしてくれ、僕が、「それバカっぽくていいかもしれませんね」と答えている。
結果、僕はカレースターになった。
水野がカレースターとなったことについて、「そりゃぁ、いい!」と思ってくれた人もいれば、「スターとか言ってるぜ」と冷ややかな人もいるだろう。当の僕は、このことについても、ま、どっちでもいいや、と思っている。
そもそも自分がカレースターであるという自覚はないから、どこかで本当のカレースターが出てくれるといいなと思っているし、カレースターと呼ばれる偶像が僕から離れて独り歩きして、いつの間にか「カレースターは実在しない架空の存在」みたいになってくれたらいいなとも思っている。そのくらいのものだ。
現時点ではまだあの対談の中で話したことはほぼ今の気持ちと変わらないけれど、そのうち、僕自身が読み返して、「何言ってんだろーね、この人は」とか思う日が来そうな気がしている。そのときは、「共感した!」と言ってくれた人をわからなくさせ、「わからなくなりました」と言ってくれた人を共感させたりするのだろうか。
僕はまるで何人も人格があるかのように、アウトプットする先ごとにキャラクターが少しずつ違っているからなぁ。原稿を書きながら「……とかなんとか言っちゃってるよ、俺」とかよく思うもんなぁ。
きっと僕は、自分のことを正しく理解してもらいたいと思うステージを過ぎてしまったんだろう。
ただね、あれが対談記事ではなくて、M響アワーだったら、ちょっと話は違ってくるかもな、と思う。
「M響アワーを聞いて水野さんの考えに激しく共感しました!」という人と、
「M響アワーを聞いて水野さんのことがわからなくなりました」という人がいたら、
前者の人とはリアルに会ってお付き合いができそうだけれど、
後者の人とはリアルに会わないほうがお互いのためかな、と思う。
都合のいい時だけ架空の水野を利用してもらえればいいかな、と思う。
そういう意味では、やっぱりM響アワーがいちばん素の自分が出ている場所なんだろうなぁ。
そういえば、今日は、仕事の打ち合わせで名刺交換するときに「AIR SPICE買ってます」と言ってくれた方がいたけれど、もし仮に打合せの場で「M響アワー聞いてます」と言われるようになったら、さすがに調子が狂うかもな。
 

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