カレーになりたい 170913

カレーの学校第5期の最終授業が終わった。いつも、期の最後は少し寂しい気持ちになる。毎回、シャベル内容は違えど、「プレーヤーになってください」と一貫して伝えているメッセージで最終授業は締めくくる。授業の後、ゼミの時間を終えて、生徒さんたちと打上げで飲みに行った。すると、ある生徒さんからこんな感想があった。
「水野さんは毎回、授業が始まる前に弱音を吐くじゃないですか、あれで先生と私たちとの距離がぐっと縮まった感じがして、とってもいいんです」
弱音を吐いているつもりはない(笑)。僕はカレーの学校に限らず、トークイベントでは、正式な開始時間が来る前にステージでしゃべり始めるスタイルを取っている。理由はいくつもある。しゃべりたいことが時間内に収まらないからだったり、「水野さんです、どーぞー!」みたいな呼び込みが苦手だからだったり、お客さんや生徒さんとの距離を縮めたいからだったり。そういう点では、“自前の前説”は意図した通りの成果を生んでいるわけだ。内容が弱音と取られているのは、きっと僕が自虐ネタが好きだからだろう。確かに自虐的な話やボヤキが多いのかもと思う。それで場が和むのなら話した甲斐がある。
最終授業のテーマは、「カレーの車が走るワケ」だった。なぜ、僕がフードトラックをしているのかについて1時間ほどしゃべる。途中、カレーの車で提供しているレシピの秘密を板書しながら掘り下げたときに、カレーを作る上で僕が大事にしている信条について語った。それは、「おいしくしすぎない」ということだ。それがなぜなのかはここでは割愛するけれど、この「おいしくしすぎない」というコンセプトと授業前の弱音は同じ効果を生んでいるのではないか、とその生徒さんは言った。「受け手が感受性を持てる余地を作っているのではないか」と。
ステージに立って眉間にしわを寄せてエラそうなことを講義するスタイルもできる。おいしいカレーを作って食べたお客さんを唸らせることもできる。でも、僕はどちらもやりたくない。弱音を吐いて(笑)授業を始め、難しいことをわかりやすく面白おかしくしゃべりたい。おいしくするためのあれこれを排除して、おいしくしすぎないすっきりとした味わいのカレーを提供したい。考えてみればトークもカレークッキングもスタンスは同じなのかもしれないと改めて思った。
そんな話でおおいに盛り上がったから、調子に乗った僕は、「まあ、映画監督として“世界の北野”と言われているたけしがいまだにテレビで着ぐるみ着てとぼけたこと言ってるようなものかもね~」なんて、ちょっと格好つけて話をまとめたが、それに彼女が納得してくれたかどうかは定かではない。

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