カレーになりたい 170904

僕にとっての進化が、誰かにとっても進化である保証はない。
僕にとっての進化は、誰かにとっての退化なのかもしれない。
昨日のイベントで、僕は、『いちばんおいしい家カレーをつくる』に掲載したファイナルカレーを作った。でも、そのレシピは、本で発表したものとは少し違う。具体的にいえば、「にんにく・しょうが・セロリ・にんじん・トマト」を使って作る香味ジュースの材料を「セロリ・トマト」だけに絞ったのである。にんにくとしょうがは別にみじん切りにして炒めることにした。にんじんは使うのをやめた。なぜそうしたか、といえば、そのほうがおいしくなると今の僕が思っているからだ。
本が発売されたのは数か月前。その時点でファイナルだったはずのレシピは、すでに僕にとってのファイナルではなくなっている。もっとおいしくする方法が見つかっている。
ところが、何回なのはそこではない。
僕にとってのファイナルが、誰かにとってもファイナルだったはずなのに、
僕にとってのファイナルが、僕にとってファイナルではなくなってしまった。
じゃあ、本で発表したレシピは今より劣るのか、といえば、そうとは限らない。だって、今の僕がこっちのほうがおいしくなるんじゃないか、と思っているだけで、それを食べた人が「進化しましたね」と判断したわけではないのだから。
ミュージシャンが往年のヒットソングをアレンジを変えてライブで歌うようなことに似ているのかもしれない。ライブでアレンジを加える理由は、こっちのほうがカッコいいと思っているからだ。しかも、その裏側には、「この10年で自分自身のスキルが上がったわけだし」というのがある。僕自身がそうだ。10年前の自分より、数年前の自分より、今の自分のほうがよっぽど実力は上がっている。進化している。だから、今の僕がいいと思う作り方のほうがいいに決まっている。そう思っている。
でも、ライブを観に行ったファンは、「なんだよ、そのアレンジ。原曲通りに、アルバム通りに歌ってくれよ」と思ったりするのだ。
きっと大事なのは、過去を否定しないことだと思う。
「ファイナルカレーはファイナルカレーだよ。でも、実はもっといいレシピを発見しちゃったんだよね」
僕がそう言って別のレシピを発表したら、それに賛同してくれる人もいるだろう。でも、「なるほど、今の水野さんはそこなんですね。でも僕はあのときのファイナルカレーのほうが断然好きだなぁ」と思う人がたくさんいる。僕の進化はホントに進化なのかはだいぶ怪しいということになる。
ただ、一発屋がそれを携えて延々と全国を行脚する、みたいな形は避けたいから、誰かがどう思おうと、僕がそれを進化だと思えば進化させ続けていこうと思っている。
過去を愛する誰かと今を愛する自分が共存できたらなぁ。
そんなふうに思いながら、新しい企画の打合せをした。「いちばん◎◎な……」な試み。これは楽しくなりそうだ。

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