カレーになりたい 170823

18時09分、半蔵門線が神保町駅に到着した。ホームに降りて改札に向かう階段をのぼりながら考える。どこかにカレーを食べに行こうかしら。イベントは19時から。開場となる三省堂書店の1階エレベーター前で、編集者と18時30分に待ち合わせをしている。
あと21分ある。と引き算しながら改札口を出た時には、たぶん、残り18分ほどになっていたはず。足早にスマトラカレー「共栄堂」を目指す。神保町で最も歴史の古いこの店は、神保町で最も短いスピードでカレーが提供される店でもある。
地下1階にある共栄堂の外階段、1階に到着した時点でケータイのストップウォッチをスタートさせた。病を刻む画面をちらちら見ながら階段を降りる。
 
*00分10秒
怪談を降りるのに10秒かかったが、おそらく、これは画面の数字がちゃんと動いているかどうかを気にしながら恐る恐る階段を降りたからで、駆け下りれば5秒でついただろう。
 
*00分25秒
ガラス張りの店を外側から見るこの共栄堂の雰囲気は本当に好きだ。ガラス戸を開けて店に入り、スタッフに「1人です」と告げて案内された席に向かう。ここで大事なのは、スタッフが席を案内し終わった後、僕のための水を持ちに戻る前に注文を告げること。それができなければ時間のロスになる。椅子に座りながら「注文が決まった頃に改めてきますね」的なそぶりを見せるスタッフに「ポークカレーで」と注文。ここまで15秒というのは、上出来だと思った。
  
*00分45秒
まず、水が来て、それからお馴染みのコーンスープがきた。ここまでで10秒。そしてその10秒後、ライスとカレーがやってきた。なんと、今日は、注文してからカレーが届くまでに20秒である。新記録かもしれない。
  
*1分00秒
共栄堂のカレーに限らないが、ご飯とは別にカレーソースがグレイビーボート(ソースポット)に入って出てくるタイプの店では、僕は、レードルを使わず、ボートの取っ手を持ってそのまま全量のカレーをライスにドバドバとかけることにしている。いつものようにこの儀式を済ませ、スプーンを包んでいる紙ナプキンを少々野蛮にむしり取って食べる準備を整えた。この一連の儀式には15秒の時間がかかることがわかった。
  
*5分45秒
ポークカレーを食べる。豚肉の脂身が信じられないくらいやわらかい。赤身の味はソースに出きってしまっているから味気ない。食べながら考えた。ポークカレーを作るときに生肉の状態で赤身と脂身を切り分け、脂身を煮込んでとろとろにして、最適な加熱時間、赤身はソテーしてカレーソースと混ぜ合わせたら、完璧な共栄堂ポークカレーができるのかもしれない。気づいたら、皿は殻になっていた。ストップウォッチを見ると、5分45秒。店の紙ナプキンにマジックでラップタイムをメモりながら計算する。カレーを食べていた時間は、4分45秒間だ。食べ始める前に真っ赤な福神漬け添えて写真を1枚撮ったから、あれをしなければ、4分15秒ほどで食べ終わっていただろう。速い人なら3分で済むかもしれない。
  
*9分00秒
さて、店を出ようか、これなら、待ち合わせの時間に十分間に合う。……のだが、そういうわけにはいかない。殻になった皿の傍らにまだコーンスープがたっぷり残っているからだ。共栄堂のコーンスープは、カレーを食べながらときどき合い間に口にするのが正しい食べ方だ。そのために、カレーが食べ終わるまで冷めないように信じられないくらい熱々の状態で提供される。これがいっこうに冷めてくれないから、スピード重視の日には厄介な存在となる。ふうふうしながら急いでコーンスープを飲む。慌てて飲んで喉を火傷しようものならこの後に差し支える。トークイベントが待っているからだ。登壇したものの、「すみません、さっきカレーを食べて火傷しまして、声があまり出ません」では困る。コーンスープを飲み干すのに3分15秒がかかった。これじゃ、カレーを食べている時間と大差ない。
 
*9分35秒
席を立ち、レジに向かう。向かいながら950円をスマートに出せるよう、財布の中身を確認。1050円を準備してスタッフに渡す。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
これですむ話だが、レジ横に置いてある自著のチラシを指さして、ひと言。
「これ、置いてくださってありがとうございます。宮川さんによろしくお伝えください」
「あ、これは気がつきませんでした、失礼しました」
みたいなやりとりをする。店の出口まで歩いて行ったところで、35秒が経過した。
  
*9分45秒
地上まで階段を上がれば僕の共栄堂時間は終わる。降りてくるのにゆっくり10秒なんだから、のぼるのも同じだ。降りるときよりは少し軽いステップで、あがる。が、降りより昇りの方が大変だ。結局、同じ10秒間かかった。焼きリンゴと名物メニューが書かれた共栄堂の外看板が見える。この店に通うようになって20年以上が経つけれど、焼きリンゴを食べたことは一度もない。いつか食べてみたい、と20年間、思い続けているのだ。
 
三省堂書店に向かって歩き出す。時計に目をやると待ち合わせ時間まであと3分ほど残っていた。たった10分間で幸せに包まれる。やっぱり共栄堂はすばらしいカレー店だ。
 

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