東京カリ~番長は、店を持たないさすらいの出張料理集団である。
店を持つシェフのことを“プロ”と呼ぶならば、僕らは“アマ”である。
誰かにこう評されたことがある。
「東京カリ~番長は、カレー界における史上最強の素人集団である」
僕たちはこの表現をこれ以上ない褒め言葉として受け止めた。
あちこちの公園やクラブに出没してはカレーをライブクッキングするという活動は、
15年前にスタートさせた頃には東京でもかなり奇異な行動として受け止められた。
いや、受け止められていたのかどうかも微妙なくらい異端な行動だった。
僕たちは、自分たちが楽しいからそれでいいんだと言い聞かせ、
理解のない周囲の反応をよそに活動を続けていた。
僕たちが行ってカレーを作る。そこに楽しい時間と空間ができあがる。
それでいいじゃないか、と。
メディアによく出るようになっても、僕たちの存在は、いつもいかがわしいものだった。
カレーマニアの集団がいるんだなぁ、というぼんやりとした薄い印象だけが残り、
自分たちのやっていることに自信を失いかけたこともある。
「いい、これでいいんだ。前例がないことをやってるんだから誤解されても仕方ない」
とか、
「ちゃんと見てちゃんと理解してくれる人は必ずいるはずだ」
とか、
そんな言葉を掛け合っていた時期もあった。
事実、イベントで出会う人、面白がって毎回のように顔を出してくれる人たちがいたから
少なくても世の中に理解者がいるんだという確信は持てた。
だから僕たちは続けてこられた。
そんなとき、知人から連絡があった。
「ほぼ日で糸井重里さんが、カリ~番長のことを書いてたよ」
なんのこと!? と思ってサイトを見に行った。
ダーリンコラムという長いコラムのその日のタイトルは、「ほぼ日」のカレー部とは? だった。
およそ250行にも渡る糸井さんのカレーにまつわるあれやこれや、が書かれていて、
趣旨としては、「ほぼ日」でカレー部を立ち上げてなんかやれないかなぁ、やってみようかな、
というゆるい決意表明だった。
その中に僕は、“東京カリ~番長”の文字を発見する。
もちろん、僕たちは糸井さんとは面識はない。
以下が、ダーリンコラムに書かれていた文章である。
↓
***
「東京カリ~番長」という人たちの活動も注目している。
カレーを軸にしてイベントができるというコンセプトは、
この人たちから、発信されていたのだと思う。
***
250行のうちのたったの3行。
このたったの3行に僕の心は躍った。
だって、僕たちが最も理解してほしいと思っている内容について、
会ったこともない人が簡潔に表現していたからだ!
その言葉は、当時の僕たちが最も欲しい言葉だった。
僕はすぐさまダーリンコラムの全文をコピーして、メンバー全員にメールした。
「見てよ、ほら、世の中にはわかってくれる人がいるんだ!」
そのダーリンコラムは、今も僕のPCに保存されている。
日付を見ると、2005年1月17日とある。
10年近く前のことだ。
その後、まもなく、知り合いの編集者を通じて糸井さんから連絡があった。
「糸井さんが番長に会いたいと言ってますが、どうしますか?」
もちろん! と会うことになった。
糸井さんは、ほぼ日カレー部を立ち上げるにあたって、
世の中でカレーで何かしらの活動をしている人たちのことを一通り調べたらしい。
結果、「一番会ってみたいと思ったのが番長だった」とのことだった。
そして、僕たちは、ほぼ日イベントであのタモリさんと一緒にカレーを作ることになる。
そんな嬉しいこともあったけれど、その後も僕たちの活動スタンスは、
今に至るまで変わっていない。
現場重視。
出張料理のライブクッキング。
営利目的ではなく、自分たちの感じる面白さを追求しながら活動をつづけた。
たまには、横道にそれたこともある。
ビール会社のキャンペーンにタイアップに出てみたり、
お菓子メーカーのカレースナックやコンビニのカレー弁当の商品開発に携わってみたり、
東京タワーで店舗とラジオ番組をからめた面白そうな企画に乗っかってみたり。
その都度、僕たちは楽しんだけれど、少しすると我に返る。
これって僕たちの“本業”じゃないよね。
こんなことしてちゃいけないね。
そんなとき僕たちはいつも渋谷あたりのキャパ100人に満たないクラブでの
カレー出張料理活動に舞い戻った。
そうやって、15年もの間、ずっと変わらずに活動を続けてきた。
いつまでたっても変わらないことが大きな価値にも感じていたし、
一方でいつまでたっても鳴かず飛ばずな印象もあって、僕はときどき悩んだ。
そのうち鳴かず飛ばずの原因が自分にあるのではないか、という気持ちが強くなった。
東京カリ~番長は僕(水野)が立ち上げた集団である。
メンバーがみな、どこかで水野に気を使ってやりたいことをセーブしている気がした。
だから、もう、そういうのはよそう、とちょうど2013年の年末に決意した。
僕は、東京カリ~番長のメンバー8人が集合した忘年会の場で、
メンバーみんなに対して脱退宣言をしたのである。
「僕は、カリ~番長はやめるよ。カリ~番長は誰のものでもない。
みんながこの名前を自由に使ってやりたいことをやっていけばいいんじゃないか」
そんなことを話した。
メンバーの反応はいろいろだったけど、結論としては、
「言いだしっぺが辞めるというのは無責任だ」ということで、僕の宣言は却下された(笑)。
あれから半年も経たないうちに、思いがけない展開があった。
なんと、東京カリ~番長のメンバーのひとりが、仕事を辞めてカレー店を始めたのだ。
これには驚いた。
昔の僕なら憤慨していただろう。
だって、東京カリ~番長は店を持たない出張料理集団だったんじゃないのか?
東京カリ~番長はカレー界における史上最強の素人集団だったんじゃないのか?
でも、ま、いいんじゃないかな? と思ってる。
東京カリ~番長は僕のものではない。
くだらないポリシーを振りかざすのは僕個人だけでいい。
僕にとって東京カリ~番長らしいと思うものだけに僕は首をつっこめばいい。
今はそう思っている。
だから、これから、各メンバーが東京カリ~番長の名のもとに
さまざまな活動を行っていくことだろうと思う。
僕はそれを柱の陰からそっと見守りつつ、
個人的に「面白そうじゃん」と思うものについてだけ、積極的に動いていくつもり。
そんなふうに東京カリ~番長はこれからも続いていく。
みなさんには、ゆるい気持ちで応援をお願いしたいと思う。
2014年 夏
東京カリ~番長
調理主任 水野仁輔
東京カリ~番長の活動について
カテゴリー: ★東京カリ~番長について