noteでやってる問題シリーズの連載を今週はサボってしまった。
さすがに移動&イベントの連続で、書く暇がなかった(という言い訳)。
自分で締め切りを設定して勝手にやっている連載だから、別にいいのだけれど、逆にそうだから続けるのにはなかなかの精神力が必要になる。ただ、イベントなんかでお客さんに会うと、「問題シリーズ、毎週たのしみに読んでいます!」という熱い言葉をいただく。おそらく、ほかのどこで書いている原稿よりも反響が大きい気がする。なぜだろう? つい最近、会った読者からは、「毎回繰り出される問題がドンピシャなものばかり」と言ってくれた。
前にも書いたような気がするけれど、正解を見つけることよりも問題を探すことのほうがはるかに難しいと僕は思っているので、そういう意味では、「どんな問題について書こうか」を考えるのに苦労している。問題が決まれば原稿の内容にはそれほど苦労しない。自分に経験のない問題であれば、実際にやってみてレポートすればいい。だから、僕が探し出した問題が、「言われてみると確かにそれは前から自分も疑問に思っていた」という内容になっているということだろう。
あの連載は、誰も表立って問題視していなかったようなテーマを探し、自分で勝手に問題視してつらつらと文章を書いておきながらいつも結論や正解が出ないまま終わるという、不完全燃焼タイプの連載だ。その多くは、従来、「こうやるものだ」とか「こうやるべきだ」と言われてきたカレー作りの調理テクニックについて、「本当にそうなんだろうか?」と問題視するところから始まる。アプローチとしては、素人ながらも科学的見地から、「これはこうでなければ」などと理屈をこねるのだけれど、「結局、わかりませんね」とか「人それぞれですね」みたいなことでお茶を濁して終わる。僕はあの連載を通して本当に伝えたいことは、「何ごとも角度を変えてみれば面白い切り口が見つかる」といか、「それを見つけたら、いくらでも楽しめる方法がある」とか、「そのうえで、正解なんかどこにもないんだ」とか、そんなことを伝えたいと思っている。でも読む人の多くは、「水野からカレー作りのテクニックを学べる」と思っているような気がする。すこしだけそこにズレがあるような感じがするけれど、まあ、それでも面白がってくれるのは嬉しい。
つい最近、書店に行ってめったに寄らない料理書コーナーを見てみたら、調理科学に関する本がどっさり並んでいた。海外のものが多く、半分近くは持っているものだったが、それ以外のものをごっそり、2万円近く買い込んだ。ふと思ったのだけれど、こういうものが書店の棚の目立つところに並ぶということは、調理科学という視点に注目が集まっているのかもしれない。自分がカレーの世界でテクニック部分でやっているのは、この観点に近い。でも、一方でこれをやっていながら、少し違和感もある。
カレーのおいしさを数値化したり、理論化したり、科学の視点でエビデンスを求めたりする行為は、カレーの世界がこれまで最も苦手としてきた分野だ。だからこそ、ニーズがあるのかもしれないけれど、カレーのおいしさが数値化されたら、その数値が独り歩きする可能性はある。本当は食べる人それぞれが作って食べて自分の感性に基づいておいしいとかおいしくないとかを決めればいいのだけれど、そういう方向にいかなくなるのかも。食べる人の判断能力がどんどん落ちていき、数値と理屈がまかり通るカレーの世界になってしまうのかも。
僕は、おいしさを数値化する“べき”だ、とか、カレーを化学的な見地から理解する“べき”だとか思っているわけではない。単純に自分の探求心に素直に従っているだけだ。わからないことをわかりたい。答えがないのはわかっていても答えに近いものを見つけてみたい、と思っている。そして、たとえば、調理科学の観点からカレーの解明をできるだけやったうえで、最終的に「でもさ、科学じゃないんだよね、カレーって」と言いたいのだ。
ま、どうのこうの言わず、来週は、ちゃんと問題シリーズの連載を更新しようと思う。

