カレーになりたい 180829

いい旅だった。
佐賀県に行き、有田焼のプレーヤーたちを紹介してもらった。
李荘窯の寺内さんとは、オープンソースの話で盛り上がった。400年の歴史を持つ有田焼の世界で、長年、窯元どうし、横のつながりはほとんどなく、技術をブラックボックスにしてきた。寺内さんは、ライバルの窯元たちに声をかけ、互いの技術を出し合ってひとつの器を作るプロジェクトをスタートさせた。完成した器を販売するときに間に入る商社を1社に限定して定価販売に統一するという、それまでの有田の商慣習で言えば完全なタブー、越権行為を押し通して息詰まる世界に風穴を開けた人だ。
既成概念、ある種の常識を打ち破ったことへの反発やヤッカミは、尋常じゃなかったようだ。本人の口からは語らなかったが、別の方の解説によれば、大げさではなく“夜道を歩けない”ほどの危機感とストレスのある日々を過ごしたという。寺内さんはそのプロジェクトで得るものがあった分、失ったものもきっと相当あったんじゃないか、と思う。
インド料理が今ほど注目される前、僕は、日本人のインド料理シェフたちに声をかけて研究会を始めた。みんな、自身が身に着けた知識や技術を惜しげもなく出し合った。僕は、それを一般のカレーファンたちが読める本にして自費出版した。あのプロジェクトでレシピやテクニックをオープンにすることもメリットを確信したのである。反発やヤッカミがそれほど(夜道を歩けないほど)なかったのは、商売に直結しない動きだったからなのかもしれない。
1616プロジェクトなどで活躍する百田さんとは、海外に出て感じる世界と日本の魅力の話で盛り上がった。有田焼で世界的な評価を獲得し、海外展開を進めて突破口を開いた。商業的に右肩下がりを続け、先行きが見えない不安な世界で器を作り売り続ける有田焼の過酷な状況で、多くの関係者が暗い顔を隠せない中、「僕は心配していませんよ、大丈夫」と言い切る百田さんは素敵だった。見ている世界が違うんだと思った。百田さんは、ふたつのことを重視しているそうだ。「海外に出て外を見ること」と「スマホやSNSの利用をできるだけ遠ざけ、自分の感度を上げること」。
どちらも強く共感した。ケータイを持たずに生活した3年間に比べると、スマホを持つようになったこの2年間で、僕自身の感度は落ちてきたような気がする。反省しなければならないと思った。
その代わり、というべきか、この2年間、取材やイベントで頻繁に海外を訪れている。外に出ると日本について感じることがたくさんある。日本に対して、このままじゃダメかも……という危機感と、この切り口でイケるかも……という希望を両方持つ。その中身に対する感覚が百田さんと僕とは驚くほど一致していた。あの国のここが魅力、と互いに訪れた国々についての感想で盛り上がる。百田さんも僕も日本を代表して憂うような立場にはないから、単純に感じたことを自分の世界、焼き物やカレーの世界で自分の活動範囲で反映させていくだけである。
百田さんの商社各社を巻き込んで世界へ進出する動きは、やはり相当な反発とヤッカミを乗り越えたところで成立しているようだった。取引先に「百田の扱う商品は二度と店に並べるな」と無名の電話が来たという話を別の人から聞いたこともある。そんなことはおくびにも出さないのは、他の人とは見ている世界が違うからなんじゃないかと思った。
僕なんか寺内さんや百田さんに比べたら失うものは何もない立場なんだから、寺内さんの勇気や覚悟と比べるのもおこがましい。でも、業界やレベルは違えども考えていること、感じていること、やろうとしていること、実践していることにいくつもの共通項を見出して、たくさん力をもらった。
僕が今回の佐賀旅で紹介していただいた方々は、有田焼にまつわるほんの一握りのプレーヤーだ。他のプレーヤーの視点で語れば他の見え方もしてくるのかもしれない。きっと真実はひとつじゃないから。でも、僕は、僕が出会えたプレーヤーとの縁を大事にしたいと思う。
「オリジナルのカレー皿を作りませんか?」という打診を最初にもらったときは、「正直、興味ないわぁ」と思ったのだけれど、現地を訪れ、人と会い、器に触れ、熱や思いを受け止めると、不思議なもので、「何か僕にできることがあれば」という気持ちになってくる。それは、縁とか情とかいうものかもしれない。ビジネス的な貢献は正直言って全くできる立場ではないけれど、僕が有田焼でカレー皿を作ることが、間接的に何かちょっとした刺激を与える一助になるのなら、やってみたいと思う。
閉鎖的な部分もある世界の中で人と人をつなぎ、外の世界を見ている人たちの仲間に僕も入れてもらいたいと思った。 
 

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