文字盤の視認性が極めて低い真っ黒な時計を開発したスイスの時計会社があるという。
その世界のジャーナリストたちから、「なぜこんなにわかりにくい時計を作ったんだ!?」と詰め寄られたときの回答が秀逸だった。
「時間を知りたければスマホを見ればいい」
完全に自己否定したセリフである。この逸話をある時計マニアの友人から聞いた。時間を確認するために存在する時計を作っておきながら、「時間は別のツールで確認すればいい」と語るのだから。それならその時計はただのブレスレッドだ。なんと素敵な話だろうと思った。
これをカレーに置き換えてみる。カレーは、お腹を幸せに満たすために存在する料理である。仮に僕が、きわめて食べにくい、食べられなくはないけれど、食べた心地がしないカレーを開発したとする。
「なぜ食べられもしないようなカレーを作ったんだ!?」と詰め寄られたら、僕は、こう回答するのだ。
「お腹が空いているんならラーメンを食べればいい」
炎上するかな。時計には、時間を確認すること以外の価値がある。カレーには、空腹を満たすこと以外の価値がある。それを価値として感じさせられるだけの品質がそこにあれば、重宝されるのだ。いつか、そんなカレーを僕は作りたい。

