カレーになりたい 170807

例年のごとく、今年の自分の新刊が書店に並ぶこの時期に、やはり数々の反省点が頭の中を駆け巡るようになる。もっとできたはずだ、と。この時期、自著を愛せなくなる。明日、今年6冊目となる新刊が発売される。が、この『幻の黒船カレーを追え』にいたっては、発売前に意気消沈気味。やはり、見本が自分の元に届いて全国の書店に並ぶ前まで時間が最も自著を自画自賛できる時間だ。とっても短い。
そんなどんよりした気持ちを抱えて、クラシック音楽の編集者をしている友人に会って話をしていたら、「ピアニストと同じだ」と言われた。
ピアニストはレコーディングやコンサートでは当然、全力を尽くすが、その後、CD化された音源は聴きたがらない人が多いという。彼女はクラシック専門誌の編集者をしていた時代、あるピアニストを編集部に招いて取材をすることになったとき、BGMに彼のCDを薄く流していたら、取材部屋に入ってきた瞬間に「この音楽、止めてください」と言われたことがあるそうだ。
瞬時に自分の演奏だとわかるんだな、と感心したのと同時に、やっぱり自分の過去の録音は聴きたがらないんだ、と思ったという。逆に10年前の音源などを聴くときには、弟子の演奏を聴くような穏やかな気持ちになることもあるそうだ。それもわかる~、と思った。僕も10年前の自著をたまたまパラパラめくったりすると、「なかなか頑張ったな」とか「割といい本だな」とか思うことがある。でも、そうなるまでは、最低でも5年以上が必要だ。
自著は読みたくない。
ピアノを弾く人や本を書く人がみんなそうだとは思わない。そんな感情が沸くのは、マイノリティなのかもしれない。
僕の敬愛するウディ・アレンがこのことに関しては、名言を残している。
「(映画のための)本が書きあがった時、いつも『市民ケーン』のような傑作が書けた! と盛上る。でも、傑作と駄作との間を隔てているのは、いつも自分自身だ」
インタビュー集でこの言葉を読んだのは、10年以上前だった。当時も「自分と同じだ!」と大喜びしたが、今もそれは変わらない。入稿直後、見本が届くまでの間の「傑作を書いた」と思う気持ちと、書店に並んでからの「駄作をまた世に出してしまった」という気持ちの間を隔てているのは、実力の足りない自分自身なのだから、特効薬はないんだよな……。


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