カレーになりたい 180518

あれをしたい、これをしたい、とカレーに関してやりたいことは尽きない。
死ぬまでやり続けてもきっとやり切れる量ではない。
一方で、あれはしない、これはしない、としたくないこともたくさん。
自分で自分をがんじがらめにしていることは自覚している。
中でも最もやりたくないことのひとつと言えるものが、薬膳カレーに関するアプローチだ。
「スパイスやカレーが体にいい」的なアプローチの何かは、僕は、この活動を始めて20年近く、「これだけはやるまい」と決めてきた。理由はひとつだけ。自分が納得できていないからだ。
納得できていないのは、もちろん、僕自身の勉強が足りていないせいだ。
だから、2年ほど前から、西洋医学の先生と不定期でお会いして、スパイスの効能や体のこと病気のこと、さまざまなことについて教えてもらっている。先生との会話はとにかく刺激的で面白い。
僕が昔から「スパイスの健康アプローチ」について納得できないのは、「質」と「量」と「相性」の3方向から十分に踏み込んでいる例がないからだ。たとえば、ターメリックのクルクミンがいに作用するという効能は、世界中に無数の論文が発表されている。だから、ターメリックを使った料理やドリンクは胃を整える、みたいなことになる。
いったいどのグレード(質)のクルクミンをどのくらい(量)摂取すれば、どんな人に(相性)機能するというのだろうか。それが抜けてしまっていると思う。もっと言えば、一定の質と量のクルクミンをそれが機能するタイプの人間が摂取したとして、その人がクルクミン以外の食生活でカップラーメンを食べてコカ・コーラを飲んでいたら、効果は激減するはずだ。
それらのことが整理されたアウトプット出ない限り、「スパイスを使った薬膳カレー」というものの存在を僕が受け入れる気持ちにはなれない。
「それを突き詰めたら最終的には西洋医学の薬を処方する、という話にいきつく」
と先生は言う。そうなのかもしれない。すなわち、スパイスの効能が人体に及ぼす役割について正解を求めることは絶対に不可能だとも先生は話してくれた。
だから、世の中の健康アプローチ商品やレシピやアウトプットは、「どこかで線を引いて」行っていることになる。まあ、最終的には人それぞれですよね、みたいな。それは仕方がないから、ともかくエビデンスの質と量(ここでまた質と量……)が大事になってくる。それに乏しいアウトプットは、「信じるものは救われる」的な要素が強くなる。
西洋医学の世界だって、もちろん完璧じゃない。「新薬で特効薬ができました」と聞いたら、それは全面的に信用しないほうがいいらしい。なぜなら、新薬であれば数年の間、その薬が効くことは実証されているが、それが10年後、20年後にどう影響するかは誰もわからないから。
西洋医学が今のところ、最も厳密な「ある種の人体実験」を行って、エビデンスや統計を世界的にとって処方や薬が生まれている世界のようだ。それでも、万能ではない。インフルエンザや花粉症の注射が効く人と効かない人がいたりすることを思えば、身近な生活でも想像はつく。
一方で、「病院に行って薬で治らなかったものが、◎◎で治った」みたいな話もある。それは事実かもしれない。そうなると西洋医学が敵になる。でも、何医学にせよ、ある生活習慣や処方が直接的に体を整えるのに機能したかどうかは最終的に検証しようがないのだ、と先生は言う。
それは広告業界で長い間仕事をしていた僕にとって、とっても腑に落ちることだった。ある新商品が発売されたときにテレビCMをうつ。商品が爆発的に売れたとき、代理店の人間は、暗に「自分たちのおかげですよ」と匂わせて自分たちの存在価値を高めようとする。当たり前のことだ。でも、その商品は、CMなんてなくても商品自体のポテンシャルで売れたのかもしれない。
たとえ、いつまでも売れなかった商品がCMの直後から売れ始めたとしても、「広告のおかげである」を完璧に実証することはできない。
医学の世界にもその問題があるとは思ってもみなかった。でも言われてみたらその通りだと思う。
結局、結論からいえば、「正解はない」ということになる。
「正解はないっていうことになりますか?」
と聞いたら先生は、
「その通りです」
と断言した。
なるほど。でも、僕は正解がないから納得できないわけではない。だって、カレー調理の世界だって正解はどこにもないのに山ほど僕はアウトプットをしているのだ。正解がなくても、正解が求まらなくても納得できる形はあるっていうことだ。
僕は自分が納得できれば、アウトプットはできる。
納得していないのにアウトプットするのがダサいと思っているだけなのだ。
それで思い出したことがある。
日本人でインド料理を作っているシェフたちに声をかけてLabo Indiaというプロジェクトを始めたとき、そこに参加していなかった東中野「カレーリーフ」の津金澤シェフにこんなようなことを言われたことがある。
「僕が自分のそこそこ長いインド料理キャリアの中で、日本のこれからのインド料理世界に対して少しでも還元できる、協力できることがあるはずだ、それはなんだろうか、とこのところずっと考えてきた。ひとつの答えが見つかったかもしれないと思ったのが、まさにこのLabo Indiaだと思う。インド料理の世界は正解がない、というのが僕の結論だ。でも、正解がない中で悩み、もがき苦しみ、トライアルしている人たちの考えや行動をぶつけあってアウトプットするこの取り組みは、これからインド料理の世界を志す人にとってなによりもいい教科書になるはずだ。インド料理の正解がここにあります、というアプローチよりも」
そう、インド料理にもカレーにも薬膳カレーにも正解はない。正解がないから納得できないから動かない、のではなく、少なくとも僕は薬膳カレーの世界に自分が納得できるアウトプットが今のところ見つからないから動かないと決めてきたのだと思う。
そして、石川先生と話をする中で、スパイスの効能とそれによってカレーが人の体に及ぼす影響について、いくつかのアウトプットのアイデアが浮かんできた。そうか、僕がやりたいことはこういうことなのかもしれない! と昨夜、石川先生との会食の間になんどか自分の膝を打ったのだ。
すばらしい夜だった。
店を出て自転車に乗り、こぎながら何度もおす思った。
さて、新たにひらめいたこの取り組みを形にしていきたいと思う。たのしみ。
「正解を求めない」という僕のスタンスも、これからもずっと変えずに続けていけそうだ。

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