カレーになりたい 180412

小学校から高校卒業まで剣道をやっていた。
最も練習に打ち込んでいたのは中学3年間だ。学校の部活は放課後だけでなく、朝練もあった。それとは別に道場の稽古にもでかけていたのだけれど、この道場に、杉浦先生という先生がいた。とっても厳しくて怖い(本当は優しいのだけれど)先生で、彼は、通常の道場の稽古とは別に「日曜稽古」と呼ばれる稽古を自主的に開催していた。
その道場に通う生徒の中で何人かがこれまた自主的に日曜の18時~20時の2時間、道場に通った。自主的といっても半ば強制的なものでもあって、「日曜稽古に行かない」という選択はダサいし、杉浦先生の無言のプレッシャーもあったから、必然的に僕たちは日曜稽古へ通うという選択をしたのだ。
ところが、この稽古は、本当に厳しく、怖かった。前半の練習はともかく、後半、杉浦先生に直接稽古をつけてもらうと、数分間のうちに必ず何度も床にひっくり返されたり上から押さえつけられたりした。みんなこの稽古が怖いから、早く終わらせよう、と、直接稽古の時間がやってくると我先に杉浦先生の列に並んだ。
怖いのに競うように並ぶというのは今思えば不思議なものだ。1日1人1回だけ、という暗黙の了解があったから、後に回していつまでもドキドキしっぱなしよりはマシだと全員が思っていたのだろう。
こんな稽古が日曜に待っていたから、中学時代の3年間は、週末が訪れれるのが憂鬱で仕方がなかった。金曜の夜あたりからだんだん気分がどんよりしてくる。土曜にどんなに楽しいことがあったとしても存分には楽しめない。だって明日の夜になれば、あの稽古に通わなければならないからだ。それを思うと、たのしいことも楽しめない。
車で30分ほどかかる道場にはいつも母親に送ってもらっていた。道場につくまでの車の中で僕はいつもじっと黙ったままだった。一言もしゃべらなかった。緊張してしゃべれないし、憂鬱でしゃべる気持ちにもならないのだ。母親はそんな気持ちをさっして、無言で送ってくれた。
道場について胴着に着替えると、防具をつける前に必ずトイレに行く。そして、個室に入る。大便をしたいわけではない。恐怖で吐き気がするからだ。何回かに一回は本当にオエーッと吐くこともあった。吐いて、個室から出ると、隣の個室から中間が出てくることもあった。
「お前も吐いたのか……」
お互いにそんなふうに目を合わせた。2時間の練習が終わるとまた車で帰宅する。帰り道の車の中で僕は人が変わったかのように饒舌になった。変な薬でも飲んだんじゃないかというほど、30分間、家につくまでしゃべりつづけた。
「あなたはいつもそうだった」
と大人になってから、道場往復の車の中でのことを母親につっこまれたことがある。日曜稽古が終わってからの時間、月曜から始まる日々、僕は本当にハッピーだった。日曜稽古のことを考えなくてすんだからだ。
あの当時、杉浦先生の稽古がなんであんなに怖かったんだろうか、と不思議に思う。確かに厳しかったけれど、情熱的かつ優しい先生だったし、吐くほどきつい練習だったとは思えない。ともかく、僕の中学3年間の剣道の思い出は日曜稽古なしでは語れない。
  
NHK「きょうの料理」の番組収録が終わった。1週間ほど前から、ずっと憂鬱だった。思い出して何度もため息が出た。ディレクターから台本らしきものが封筒で届いたとき、それがおそらく台本に違いないと思った僕は封を切らないまま2日も3日も寝かしたままにした。ようやく封を切り、それが台本であることを知って、読んでおかなくちゃ、と鞄に入れたが、一度も開かずにしまい込んだままだった。
いやだな、いやだな、と思いながら当日までの日々を送る。収録日が迫れば迫るほど憂鬱になった。そのとき、あの日曜稽古のことを思い出したのだ。ああ、昔もこんなことがあったな、と。
収録現場に到着し、ディレクターやスタッフに挨拶し、リハーサルや打ち合わせをする。当たり前のことだけど、みんないい人で、いい番組にしようと一所懸命で、僕も頑張らなくちゃ、と思った。
当日、本番になれば、番組の収録自体はそれほどストレスなく進められる。僕が自分で出演しようと決めた番組だから、番組にはなんの文句もない。長寿番組だし、内容もいいし、出させてもらえるのは光栄なことかもしれない。スタッフも信用できる人たちばかりである。なんの問題もないはずなのに、僕があんなに憂鬱になるのはなぜなんだろう。あの番組や関係者に非がないわけだから、僕に原因があるということになる。
単純に苦手だ、自分に合わない、と思うのだから仕方がない。それ以上の理由はきっとない。あるとすれば、番組がOAになった後、また日本のどこかで心無い誰かがネットであれこれと言われたりするんだろうな、みたいなことを想像して嫌になる、みたいなことだろうか。それは番組とは関係ないことだ。
なんにしろ、収録は無事、終了した。
その後、2件の打ち合わせを予定していた僕は、そそくさとテレビ局を出て、次の場所に向かった。日曜稽古の道場からの帰り道のように僕の気持ちはすがすがしく、打ち合わせでそんなに饒舌にならなくても、というくらいしゃべった、ような気がする。
この後は、明日も明後日も来週も、好きなことしか待ち構えていない。晴れやかな気分だ。あの収録した番組がそのうち放送になる。そのあたりでまた僕は少し憂鬱になるだろうけれど、そこをそーっと何事もなかったかのように通り過ぎることができれば、僕のカレーなる日々は、順風満帆である。
ちょうど、番組OAの辺りは、僕は、香港マカオにいるか、鹿児島にいるか。いずれにしても旅をしている最中だ。旅はいい。憂鬱なことを忘れ、そこから逃げることができるから。
 
中学時代の日曜稽古は3年間、続けて本当によかったと思う。あの苦しい日々を過ごしたおかげで今の僕があるんじゃないか、と思う。具体的に何になったのかはわからない。でもいい意味(?)での自虐体質や精神的な強さなどはおそらく剣道から、そして日曜稽古から得たものだと思う。考えただけで憂鬱になるほどの何かに立ち向かっていく時間は、ときどきあるといい刺激になるのかもしれない。
だからといって、同じような理由でテレビ出演が今の僕にとってそのかわりになるとは思えないなぁ。テレビに出なきゃいけない、という憂鬱な気持ちと戦いながら続けて数年後、10年後、「やってよかった」と思える自分がいるとは思えない。
んんん。
自分を育てる憂鬱と自分を育てない憂鬱があるということだろうか。
それなら僕はカレー活動において、自分を育てる憂鬱を探してみたいと思う。
そして、テレビ出演という自分を育てない憂鬱についても完全に拒絶するのではなく、なにかの訓練(?)にでもなるか、と割り切って、自分にむち打つためにたまーに受け入れてみようかなと思う。1年に1回とか2年に1回くらい、かな。
 

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