カレーになりたい 180219

あのシェフは、ターメリックを入れ忘れた。
マトンウップカリーがシグネチャー料理だと聞いたから、作り方を教えてもらうことになった。
目の前にざっと並べられた材料の中でターメリックだけが鍋に投入されないまま、時間が過ぎていく。使うならこの辺りだよな、というポイントも何事もなく通り過ぎた。この後のどこかでターメリックが入るとしたら、それは事件だぞ。
水が注がれ、ぐつぐつとしたのを見届けて、シェフは、鍋のふたをしめた。
あのシェフは、ターメリックを入れ忘れた。
実は、調理の途中で、料理の解説をしてくれているマダムに僕は小さな声で、「ターメリックは……?」みたいなことを突っ込んだ。でも、マダムはあまり鍋の中を見ていなかったし、さらに突っ込んで聞いたらシェフに恥をかかせることになるかもしれないと思って僕はそれ以上、口を開かなかったのだ。ターメリックが入らなかったらどんな味になるのだろうか。それを試食してみたいという気持ちがあったことも事実だ。
あのシェフは、ターメリックを入れ忘れた。
作ってくれたカレーは、そのホテルが出しているクックブックにレシピとして紹介されている。本に書いてあることから何一つアレンジをしたりはしていない、とマダムは説明してくれた。だから、僕は、シェフのデモが終わった後に、購入していたクックブックを開いて確認した。そのとき、僕は、もうひとつの事実に気づいたのだ。
あのシェフは、ターメリックを入れ忘れた。
そして、
あのシェフは、シナモンスティックも入れ忘れた。
チリだけがレシピ通りに投入されたカレーはことこと煮込まれている。その日のディナーに完成したマトンカレーが登場した。うまかった。
あのシェフは、あのシェフは、もしかして、デモとディナーとの合間に忘れていたターメリックとシナモンを追加したのだろうか。いや、忘れていることに気が付いたのは僕だけだ。あとから追加したとは思えない。それなのにおいしいのなら、ターメリックとシナモンは必要ないということなのか。それともターメリックとシナモンをいれたらもっとおいしくなってしまうということなのか。
あのシェフは、ターメリックを入れ忘れた。
このことを僕はカレーの味以上にずっとこれから先も思い出すのだろう。

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