カレーになりたい 171119

会いたいのにずっと会えないままの人がいる。
名前は、〇本愛さんと言う。彼女はモバイル系の会社に勤めているときに、僕の連載担当者だった。最初にその会社から打診があったときは、正直言って、気乗りしない仕事だったが、断り切れない事情があって初回の打ち合わせに臨んだ。僕は、何人もの関係者が集まる会議室で浮かない顔をしたままだった。
「この仕事、どうやって断ろうかな……」
ずっとそのことが頭の中でモヤモヤし、断る理由を探していた。そんなとき、企画の中身に話が及んだとき、上司に囲まれてそれまでずっと静かにしていた愛さんが、突然、口を開いた。
「私、パンが好きなんです! カレーパンの連載をしたいです!」
意外な提案だったけれど、それは面白そうだ! と思った。そして、何より、その真っ直ぐな姿勢に打たれた。そのテンションは、会議の場にいるどの人とも違って明らかに異質な感じがして好感が持てた。この人が担当するならいい連載になりそうだ、と突然、前向きな気持ちが生まれ、断るつもりだった連載の仕事はスタートした。もう6~7年以上前のことだろうか。毎週だったか隔週だったか、毎月だったかも思い出せないが、僕は、彼女と何十軒ものパン屋を取材して回った。
連載のタイトルは、「うっとりカレーパン」。
いつか、この連載をまとめて書籍化できたらいいね、と話していたのだけれど、あるとき順調に続いた連載が終わることになった。理由は思い出せない。その後、彼女と会うこともなくなった。
それからしばらくして、全く別の機会にP-VINE BOOKSのよくお世話になっている編集者から連絡があった。
「カレーパンの本を作りませんか?」
「いいですね、僕、昔、モバイルでカレーパンの連載をやってたことがあるんですよ」
「あ、そうなんですか!?」
彼は僕の連載を知っていたわけではなく、彼は彼で純粋にカレーパンの本を作りたいと思って声をかけてくれたのだった。僕は彼と一緒にカレーパンの本を作った。
書籍のタイトルは、「うっとりカレーパン」。
本を作っている間、僕は追加取材や掲載許可をし、原稿を書きながら、一方で、〇本愛さんへ連絡を取ろうと思った。そこで、はっとした。彼女の連絡先がわからないのだ。なぜなら当時の僕はケータイ電話を持つ生活をやめようと解約し、2,000件もの連絡先はバックアップも取らずにクラッシュしていたから。後にも先にもあのときケータイを手放したことを悔やんだのは、その一回だけだった。ケータイの番号がわからないのなら、と昔、やり取りをしていたメールアドレスをPCから呼び出してメールを送ってみる。すると、エラーメールが戻ってきた。
会社に問合せをしてみると、「〇本さんは退職されました」とのこと。「結婚をして地元の大阪に帰ったらしい」という話を聞けたので、連絡先を訪ねたが、電話の主は急にそこで声がこわばった。
「退職した元社員の連絡先は個人情報になるので教えられません」
じゃあ、僕の連絡先を、と伝えたが、なぜか拒まれた。そこをなんとかとお願いしたけれど、生返事をされ、僕は諦めるしかなかった。一緒にカレーパンの本を作ろうと話していたのに、連絡が取れないまま本が入稿の時を迎えようとしている。僕は、書籍の担当編集者に事情を話し、どこで何をしているかわからない彼女の名前を奥付に加えることにした。「編集協力」だったか「Special Thanks」だったかは思い出せない。ともかく、本は出版され、彼女のことを思い出さない日々に戻った。
こういうときに僕はなぜかやたらと諦めがいいところがある。それは自覚している。会えない時には会えないし、会えるときには会えるだろう。それは僕が決められることではない。僕だけがあくせくして叶うものではない。会いたいけれど連絡先がわからず、会えないままでいる人が存在するということだけをどこか奥の方にしまっておけばいい。人の縁なんて、そんなものだと僕は思う。だから、そういう意味では、あっというまに愛さんのことは忘れてしまっていたのである。
あれから、3年以上が経った。つい2日前、イベントでカレーを出していたら、カレーを買ってくれた見知らぬ女性2人組に声をかけられた。
「あの、水野さんですか?」
「はい」
「〇本愛って知ってます?」
「!」
3年ぶりに聞いた名前だったけれど、知ってるに決まってる。
「カレーパンの!?」
そう僕が言ったら2人はすごく驚いたように「覚えてるんだ」と小さな声で言って顔を見合わせた。
「実は、私たち、昔からの友達で、さっきまで彼女と一緒だったんです」
「え!? 僕、彼女に会いたいんですよ! 大阪にいるって噂を」
「東京にいますよ」
僕は会いたい理由をかいつまんで理由を説明する。彼女たちはもともとイベントに顔を出す予定でいたらしく、「これから水野って人のカレーを買いに行く」的な話をしたら、「カレーパンの連載の仕事を一緒にしたことがある」と聞いたようだ。連絡先を聞いている暇がなかったから僕の連絡先を渡し、2人とは別れた。
〇本愛さんからいつどんな形で連絡が来るのかはわからない。しかし、連絡は本当に来るんだろうか。ま、来なければ来ないでまたいつか偶然バッタリ会うときまで放っておけばいい。
でも、もし、近いうちに再会することになったら、僕は「うっとりカレーパン」の本を持参していかなければならない。何年越しかに僕らが思い描いた“カレーパンの本”が実現したことを伝えることができるのだ。こんなことってあるんだな。2人の友達と話したときの僕はきっと相当とりみだしていたに違いない。そのくらい僕にとっては大事件だったのだ。
そうそう、そのときは奥付に勝手に名前を入れたことにも許可をもわらなければならないな。ずいぶん荒手の事後承諾になるけれど。

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