カレーになりたい 181007

旅の間、空いている時間にすることは、読書か原稿執筆だ。
集中できそうなときは執筆、そうでもないときは読書、どうにもならないときは「月間将棋世界」を読むか、ボーッと考えごとをするか。ということにしている。
今回の四国旅は、そこそこ原稿を書く時間がある。(まあ、締め切りというものもあるから、やらねばならないケースも多いんだけれど)いくつかの原稿を書きながらふと感じたのは、職業ライターさんっていうのはすごいなぁ、ということだ。
自分の書きたいこと(A)と読者の読みたいこと(B)とクライアントが書いてほしいこと(C)のバランスを取りながら執筆できるのがすごいと思う。人によっては、Aを出さないで、BとCだけを気にしながらスラスラと文章の書ける人もいるだろう。特殊能力だと思う。
僕は、Aがないなら書く必要がない。Bのためだけに書く文章はない。だから基本的に原稿を書くときは、AとBとのバランスを考えながら書くことになる。それは長い間、やってきた。でも、たまにCが介在する原稿がある。これがめっぽう難しい。
文章という意味で言えば、Cが出版社や新聞社である場合は、執筆も編集も共同作業できるから、自分の想像を超えたものに仕上がるケースもあるし、想像の範囲内でもより整う場合も多いから問題ない。問題は、Cが別の目的を持った会社の場合だ。簡単に言えば、タイアップ的な文章がそれにあたる。
Cの人と直接やり取りできるのならまだしも、Cの仕事を請け負っているDの人が間に入っていたりすると、もう何を書いていいのかわからなくなる。こういう環境で仕事ができるのが職業ライターさんなんだと思う。
一方で、Cが介在しながら、Cを全く気にせずに書ける(書いても許される)立場の人がいる。いわゆる作家と呼ばれる人である。これはこれですごい人たちだ。
そして、僕はといえば、職業ライターにも作家にもなれない中途半端な存在なんだな、と思う。どっちのパターンにしろ、自分の筆力は足りない。これは精進あるのみだけれど、今の段階では今の実力を認めたうえで無理のない仕事をしなければならないと思う。
どちらかひとつを選べるなら、僕は、職業ライターではなく作家を志望したい。だから、Cの介在する仕事をできるだけ受けないようにして、駄文を書き連ね続けていくという、まあまあ情けない選択をするべきなんだろうな。
いろいろとこんな風にここに愚痴のようなものを書いているのは、結局、自分の筆力が足りないことを痛感して弱っているからなのである。あーあ。納得のいく文章を仕上げることって、難しいなぁ。

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