カレーになりたい 181004

カレーを作るときに使うスパイスや食材について理解を深めたい。
最近、ずっとそう思っている。思っているだけではいけないから、海外にスパイスハンティングに出かけたり、国内に食材探訪の旅に出かけたりしている。というわけで、しょうがを知るために高知へ来た。
今年初めてイベントで高知に来た時に何から何までお世話になったワルンカフェのオーナーと事前にやり取りしていると、刈谷さんという、しょうが農家さんを紹介してくれるという。畑を訪れた。
土佐光と土佐一という2種類のしょうがを育て、一部のしょうがは有機栽培もしている。10月後半から収穫をはじめ、霜の降り始める前に終える。その後、1年間の生活はこの時期の収穫高にかかっているそうだ。屈強な男子たちが10数人(多い時は30人ほど!)で収穫する。
大地に生えたショウガを根こそぎ刈り取るわけだから、腰への負担は相当なものになるそうだ。ショウガは14度でキープするのがベスト。都会のマンションでは、14度でキープできる場所はなかなかない。
「冷蔵庫に入れたら寒くてショウガが風邪をひいてしまう」と刈谷さんは言う。たしかにスーパーの冷蔵ケースに並んだしょうがですら、かびているものをよく見つける。話を聞けば聞くほどショウガはデリケートな野菜だ。
農家さんに話を聞くときは本当によく出るセリフだけれど、トライ&エラーをして経験を積むチャンスが極めて少ない。
しょうがを作り始めて18年、という刈谷さんは、「まだ18回分しか経験がない」と言う。トライ&エラーだなんてのんきなことを言っている場合ではないのだろうな。その年の1回に失敗したり、災害にあってしまったりしたら、そこから1年は生活に苦しむことになるのだから。
「ギャンブルですね」というと、「ほんとにその通りなんですよ!」と語気を強めた。
夜、久しぶりに再会したワルンカフェのみなさんと飲みに行く。高知に移住して第一次産業に従事するようになった人は周囲にたくさんいるそうだ。しかも、名門大学を出て大きな会社に就職し、40代で脱サラ、みたいなケースが多いと言う。「そういう人ほど一次産業に行きつくのかしらね」みたいな話をした。
僕が広告会社を辞めたのは、39歳の最後の冬だ。あと1年だけ我慢すれば早期退職者制度の対象になるから、かなりの退職金を手にできる。待ったほうがいい、とたくさんの人にアドバイスを受けたが、待つことはできなかった。辞めたいと思ったときが辞めどきだったのだろう、と今は思う。
会社員という身分は、僕にとってはそれほどストレスがなく、割と肌に合っていると思っていた。仕事の中身もそれなりに楽しく充実していた。でも、どこまで仕事をしてもこの業界にいる限りは代理業である、ということに我慢ができなくなった。
40代に入ったら、どんなことでも小さなことでもいいから自分で何かを生み出して世の中にアウトプットしたい、と思った。40歳を過ぎて誰かの代理は嫌だと思ったのだ。
広告の世界で働いている当時、プライベートでやっているカレーを作る、という行為は、代理とは正反対のものだと位置づけていた。食材やスパイスからカレーを作って誰かに提供する。自分が何かを生み出している実感があった。でも、よく考えてみれば、僕がカレーを作るときに素材として使うスパイスもにんにくもしょうがも誰かが作ってくれたものである。
代理ではないけれど、誰かの“作品”を利用して自分の“作品”を生み出している。突き詰めれば世の中のほとんどすべてのものはそうやって生まれているのだろうけれど、そのあたりのことを考えれば考えるほど、一次産業への興味が強まるのかもしれない。
だから僕はこれからも食材やスパイスを探求する旅を続けたいと思う。かといって、いつか自分が農家になってスパイスや野菜を自ら育てたいという気持ちは、今のところ、僕にはないかな。その分、作っている人へのリスペクトをもって鍋と向き合いたいと思った。
刈谷さんにショウガの話をたくさん聞いて、ホテルに戻ったら、田子のにんにく農家、種子くんからメールが入る。今月東京に来るから食事に、という内容だった。どうやら、銀座「マルディグラ」の和知さんが種子くんの畑を訪れた際に、僕の話で盛り上がったという。
僕はいつか、種子君を連れて刈谷さんのところに行きたいなと思った。にんにくとショウガが出会う。楽しくなりそうだ。


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