カレーになりたい 180712

「スパイスカレーという言葉は水野さんが編み出したと聞いているのですが、その背景などをお教えいただけないでしょうか」
旧知の仲のライターさんからメールが来た。とある雑誌のスパイスカレー特集で「スパイスカレーとは何か?」という難しい原稿を書くことになったそうだ。確かに当時の僕は僕なりに自分の作るカレーをどう表現しようかと考えた末、編み出したというよりひねり出した、ひねり出したというより絞り出したことを記憶している。その背景については返事をした。
でも、まあ、誰が最初に言い出したかは、知らない。誰でもいいんじゃないかな、と思う。「水野さんが編み出したと聞いた」ということは、そう認識している人が他にいるということなんだろう。細かくウォッチングしてくれている人がいるんだろうな。
 
「最近、カレースターを使わなくなりましたね。カレーの人でいくことにしたんですか?」
打合せをしているときにとある人からそう言われた。確かにカレースターという肩書き(?)は去年の終わりに飽きてきたため、能動的には使わなくなった。カレースターという虚像みたいなものが僕から完全に離れて独り歩きでも始めてくれればいいのにな、とか思うようになって、代わりが必要だから、カレーの人にでもしておくか、と今年からはそうしている。
でも、肩書きっていうのは、世間一般の人がそれだけ聞いたら何をしているのかがすっと理解できるようなものでないといけないのだろうから、カレースターだろうが、カレーの人だろうが、肩書きの役割は果たしていない。だからたいていは、カレー研究家とかカレーの専門家とかそういう肩書きが使われることになる。「なんだそれ」とまあまあな違和感を覚えながらも、「それでいいっすよ」みたいなことで落ち着くパターンが多い。それにしても、細かくウォッチングしてくれている人がいるんだな。
 
ただ、こまかくウォッチングしてくれている人が気にしてくれるほど、僕自身は実は気にしていないのだ。スパイスカレーという言葉を誰が生み出したのかについても、肩書きとして何を名乗っているのかについても、たいした問題じゃないなと思っている。
そんなことよりも、あのカレーはもっとこうやって作ったほうがいいんじゃないかな、とか、次の取材は誰にしようかな、とか、次の旅先はどこがいいかな、とか、思い悩むべき大事なことがたくさんある。行かなくちゃ、君の元に行かなくちゃ、君に会いに行かなくちゃ、とか。「傘がない」気分だね。
 

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