集中力というのは不思議なものだと思った。
新刊の撮影があった。
詳しくは言えないけれど、カレーのレシピ1品で、200ページ以上という1冊。
世界で一番長いカレーのレシピになるんじゃないかな。
ま、要するにエッセイ本なのだけれど、今日は、そのカレーを1品作って撮った。
毎度のことだけれど、朝から集中する。
ほかのすべてのことを忘れて、集中。
起きて集中。
身支度をしながら集中。
家を出て自転車にまたがって集中。
ラボに到着して集中。
キッチンの準備をしながら集中。
編集者が来て、カメラマンとデザイナーが来て、撮影が始まった。
じっくり時間をかけて作る1品だが、サクサクやれば、2時間で終わる。
でも、もっとじっくりと時間をかけて丁寧に作る。
10時にスタートした撮影が終了したのは、16時。
6時間かけて1品のカレーを作った。
その間もずっと集中していた。
新刊のこと、新刊に載せるカレーのこと以外はすべて忘れて、集中。
とはいえ、6時間もの間、ずっとしかめっ面をして鍋と向き合っているわけではない。
というよりも、5時間以上は、スタッフと話をし続けている。
本をどうするか、何をどう撮影するかという話もするけれど、ほとんどはバカ話だ。
どんだけ笑ったことか。
バカ話をしている間は、集中していないのかといえば、そうではない。
集中した上でバカ話をしている。
だから、どうでもいいような内容だけれど、僕にとってはすべて新刊に関わることでもある。
脱線しているがしっかり走っている列車のようなものだ。
「その線路、違いますよ」と突っ込む人がいないだけで、放っておけば、
ちゃんと走るべき線路に戻っている。
素晴らしいできのカレーが目の前に現れ、撮影が終わり、僕らの胃袋に消えていく。
ああ、いい撮影だったな、と思う。
傑作ができちゃうんだな、と思う。
ま、この「傑作が……」という勘違いは、書店に新刊が並ぶ前日までしか味わえないので、
いま、存分に感じておくことにしよう。
16時過ぎにスタッフがラボを後にした。
ふう。
その瞬間、ふいに今日が締め切りの原稿を書いていないという事実を思い出す。
集中が切れた証拠だ。
そして、僕は、途方に暮れる、ほどではないけれど、ちょっとブルーな気持ちになる。
あんなにたくさんバカ話をしていたのに新刊と関係のない原稿の締め切りのことは
1ミリも思い出さなかったのだ。
今日過ごした6時間のようにこれから控えている原稿執筆に集中できるのか、といえば、自信はない。
集中できる自信がない、ということを言い訳にこの日記で逃げているのだ。
ああ、あの6時間が懐かしい。
頭の中をひとつのことだけで支配してしまう、
一種の洗脳?に近いあの状態をどうやったら意図的に生み出すことができるのだろうか。
さて、いつやってくるんだろうか、次の集中は。