カレーになりたい 180107

「オススメのカレー本を選書してください」
という依頼が昨年末にあった。「ダ・ヴィンチ」という雑誌の連載コーナーで、ジャンルを特定して、選者ひとりがベスト10を紹介するページだそうだ。
「ご自身のご著書を入れてもらっても構いません」
と補足があった。
困ったな、とふたつの理由で思った。ひとつは、「ベスト10」の「ベスト」である。採点とランキングはしない、というのが僕のモットー。もう、20年近く守り続けている。ただ、このモットーはカレー店について、ということにしている。が、店ではないにしてもやっぱり採点とランキングはできればしたくない。今回は、採点はない。10冊を紹介する時に、一応、順序を決めてほしいという感じだ。
まあ、よしとしようか。
もうひとつ。自著を入れてもいい、という点。いろんな編集者の顔が浮かんだ。選べない……。だって、50冊近く自著があるのだから。「どの本が一番好きですか?」みたいな質問には、「最新作です」と答えるようにしている。それが本心だからだ。でも、じゃあ、昨年、出版した5冊の中から1~2冊を決めてベスト10に入れるのか。いやぁ、なんだかなぁ、それ。ダサいよなぁ。どうしようかなぁ、この話。
と少し悩んだのだけれど、すばらしいカレー本は世の中にたくさんあるから、受けさせていただくことにした。10冊のラインナップはここではおいておくとして、ナンバー1に選ばせていただいたのは、ケンタロウさんの「小林カレー」というレシピ本だった。世の中にカレーのレシピ本はやまほどでているけれど、この本ほど嫉妬心を覚えた一冊はない。
ケンタロウさんが、ひたすらカレーを紹介する一冊、というだけで、なんというか、企画や編集については、なんの引っ掛かりもないのだけれど、とにかくケンタロウワールドがすごい。なにをどう作ってもケンタロウカレー、ならぬ、小林カレーになっているのだ。レシピの質の問題ではない。その通りに作ったカレーがうまいかどうかの問題ではない。どの写真もどのレシピもケンタロウさんのカレーに見える。コラムを読めばケンタロウ節。素敵な一冊だと思った。
僕は料理研究家さんの世界はあまり知らないけれど、まるごと1冊カレーのレシピを書いて、ここまで「ワールド」とか「節」とかをさく裂できる人はそういないだろう。もちろん、僕もできない。それが羨ましかった。
昔から、その言動が「芸」になっている人が好きだ。落語でいえば、僕は古今亭志ん生さんが好きなのだけれど、噺の内容どうこう以前に「志ん生がしゃべっている」というだけで心地よい。それが芸なんだな、と思う。落語家で言えば立川談志さんもそうかな。
それで思い出したことがある。去年の後半に細野晴臣さんのニューアルバムを買った。2枚組のそのアルバムにはたくさんの曲が入っていてぼくの大好きな「ラッキースター」も入っていて嬉しかったのだけれど、購入する時にアマゾンのレビューを読んだら心無いコメントがあった。
「現代のポップミュージックの衰退を象徴しているかのような退屈なアルバム」みたいなことが書かれていたのだ。僕は買う前だったのだけれど、細野信者の僕は「なにを!」とちょっとムカッとした。買って何周か聴いてみて、ちょっとレビューの意味もわかるかも、と思った。その前に出た数枚のアルバムに比べると、僕も物足りなさを感じたし、他のアルバムの方がなぜか繰り返し聞きたくなる。そういうことを評論家めいた風に書けばああなるのかもしれない。でも、一方で僕は、こうも思った。
「わかってないなぁ、これだから細野さんはいいんだよ」
僕は細野晴臣の歌を声を演奏を聴くとき、彼の「芸」に身を委ねているんだと思う。誰かにとって退屈なアルバムであろうと僕にとっては細野節がさく裂しているのだから、心地よい。こういう境地にいける人は音楽の世界でもやっぱりそんなにいない気がする。
小林カレー。
あの本は素敵なレシピ本だった。5年ほど前に自宅に所有するすべてのカレー本を処分したときに、レシピ本で1冊だけ手放せなかったのが「小林カレー」だった。いまも書棚に残っている。僕もあんなカレーの本が出したい。
 


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