カレーになりたい 171205

カレーの学校、第7期の卒業文集で「カレー以外に好きなものはなんですか?」という質問を受けた。
将棋と落語と豚肉生姜焼き、と答えた。
最近、朝のジョギングでは、落語の「死神」を聞き続けている。いろんな噺家の死神を聞き、違いを楽しんでいる。特に「下げ」の部分でろうそくがどうなるのか、に注目している。談志や小三治が面白いのだけれど、志の輔の「下げ」はすごかった。あ、いや、たまたま僕が聞いた高座だけのことだったのかもしれないけれど、面白かった。考えてるんだなぁ、と思った。クリエイティブというのはこういうことなのかもしれない、とも思った。この「考えているんだなぁ」という感想は、経験の浅い落語ファンの僕が持つくらいだから、意外と多くの人がピンとくるポイントなのかもしれない。いや、死神のこと、落語のことで、ではなく、カレーのことで、である。
カレーをモチーフにさまざまな表現をし続けているが、ちゃんとひとつずつを考え抜いて表現すれば、きっとその「考え抜いたんだ」ということが届くんだと思う。それをもっと意識しなければいけない。
ジョギングしながら落語を聞きながら、やっぱり振り返るのは自分のカレー活動のことになる。
それにしても、こうやって、何人もの死神を聞きまくっていると、本当に個性豊かで面白い。ちょっとした違いにその噺家のクセや性格やテクニックや人生がにじみ出る。それが楽しい。カレーでも同じようなことができるのかもしれない。古典落語の有名な話と同じような感じで、あるスタンダードなカレーの王道レシピがあるとする。これを使って10人のカレーシェフがカレーを作るのだ。その調理プロセスや完成した味わいは、それぞれ全部ちがうだろう。そこにシェフの個性が宿る。上手に解説したり、事後に取材したりすればカレーとどう向き合い、カレーをどう解釈したのかを伝えることができるだろう。そういえば、クラシックやジャズだってそうじゃないか。名曲やスタンダードナンバーは、指揮者やプレイヤーが変わるから違いが楽しめる。舞台だって演劇だってなんだってそうだ。カレーだって。ん!? カレーにはなぜそれがないんだろう?
たとえば、10人のシェフにバターチキンの取材をすればいいのかな。そういえば、このカレー計画でも、「バターチキン徹底研究」ってタイトルを未刊のリストに入れた記憶があるな。
ジョギングしながら落語を聞きながら、やっぱり考えるのはカレーの新しいアイデアのことになる。
午後はいくつかの打合せをこなしながらも、ずっとそわそわしていた。将棋が、竜王戦が、羽生さんが、と。
 
羽生さん、永世七冠、おめでとうございます。まったくありきたりな言葉しか出てきませんが、羽生さんと同じ時代に生きることができて僕は本当に幸せです。
 

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