36冊目/まぼろしカレー

とある編集プロダクションから書籍に関する依頼があった。
担当者は、僕も古くから付き合いのあった人で、カレーを偏愛していることも知っていた。
依頼内容はこんな感じ。
「今は亡き幻の名店のカレーを再現するレシピ本を出版したい。監修してもらえませんか?」
僕はいくつかの理由でお断りしようと思った。
まず、前提として、僕は監修本というのはやりたくない。
監修というのは、極端に言えば名前貸しのようなもので、制作する本に対して愛情も責任も生まれにくい。
監修するくらいならやらないか、もしくは、著者として全面的に内容に踏み込み、責任を負って全力投球したい。
次に「名店の再現」という企画について。
僕にとって、カレー店はすべてリスペクトの対象である。
だから、店のカレーを再現するという行為は尊敬するカレー店に対する侮辱でしかない。
しかも、この企画では売れそうもないな、と思った。
まぼろしの名店は、おそらく、読者のほとんどがその存在すら知らないはず。
そんな店の再現レシピをいったい誰が買いたいと思うんだろう?
僕はやりたくない、と思った。
そう伝えると、「では、著者としてお願いします」ということとなり、僕は前向きに取り組むことにした。
我ながら本当に面倒くさい性格だなと思う。
でも書籍は大好きなメディアだから中途半端な形で関わりたくないといつも思っている。
打合せを何度も繰り返し、僕は「まぼろしの名店」要素を踏襲しながらも、読者にとって有益な内容に企画をスイッチしないと本が浮かばれないことを繰り返し主張した。
本が売れる、出した本が増刷(重版)するということは、僕が本を作るときに大事にしていることのひとつだ。
トッププライオリティではないが、売れたら関係者も読者も多くの人がハッピーになる。
ちなみにこれはよく誤解されていることだけど、僕は、お金がほしくて本を作っているわけではない。
村上春樹さんのようなベストセラー作家ならともかく、カレーの本を何十冊出したとしても僕が手にするお金は、限られている。お小遣い程度のもので、お金が欲しいなら本を出すより雑誌の仕事をたくさんやったほうがいい。
これはこの業界にいる人ならたいてい察しがつくことだが、一般の方々には「印税生活でいいですね」などと言われることが多いから、だいぶ誤解されてるな~と思う。
ともかく、僕は、書籍というメディアが好きで好きで、好き過ぎてイートミー出版なんていう、赤字を垂れ流し続ける自費出版社まで立ち上げているくらいだから、僕にとって書籍の制作は特別なものなのだ。
話を戻すと、本の企画は、僕の半ば強引?な説得の甲斐あって、名店の再現レシピではなく、おいしいカレーを作りたい読者に向けて、僕が本気に伝えたいテクニックや理屈を披露するものへとスイッチしていった。
本の構成やスタッフが決まり、撮影が終わった。
あとは原稿を仕上げれば本ができあがる。
そのタイミングになって、編集者から意外な連絡があった。
「やっぱり、僕たちは、まぼろしの名店要素をもっと前面に出した本にしたい」
これには少し驚いた。
全員が納得して進んでいたと思っていた内容を撮影後に路線変更したい(というか元に戻したい)というのである。
僕はしばらく悩み、考えた結果、もう一度会って打ち合わせをし、彼らの打診を受けて本の構成や原稿の書き方を改めることに決めた。
結果的に言えば、この作業が本書にとってすごく良かったんじゃないかと思う。
これこそが書籍を製作する醍醐味だと思った。
「本を作りましょう。内容は水野さんにお任せします」的な依頼は少なくない。
それでは編集者と一緒に本を作る意味がいったいどこにあるというのだろう?
内容一任なら僕はイートミー出版で自費で本を作ればいい。
でも、カレー本制作に情熱を傾ける編集者から、僕とは違う意見が出て、提案があって、みんなで何度も考えて本を作るという行為は、なかなか味わえない貴重な体験だ。
本が多くの人に愛されるかどうかは、ふたを開けてみないとわからない。
僕はカレー本制作の経験が多いだけに、どうしても売れそうな本の企画に頭がいってしまう。
マニアックな切り口の本は、本心ではやりたくて仕方がないのに、「大丈夫ですか? 本当にこれでいいんですか? 売れないかもしれませんよ」と著者らしからぬ心配をしてしまう。
どんな本を作るときも、僕は編集者と一緒に悩んで考えて、考え抜いて苦悩したい。
今回の本はまさにそんな紆余曲折が実った本になったと思う。

本のまえがきに、こんなことを書かせていただいた。(以下一部抜粋)

****************************************************
すべての人にとっておいしいレシピなんて、ろくなもんじゃないと思います。
偶然なるレシピとの遭遇を期待するのではなく、レシピから基本的な考え方や応用できるテクニックを身につけてほしい。
まぼろしカレーは、名店の再現レシピではありません。僕にとっては大好きだった名店へのオマージュであり、みなさんにとっては名店のエッセンスを自分のカレーに応用するためのレシピです。
****************************************************
    
改めて今思う。このような企画(切り口)の本は過去に出版したことがなかった。
それだけに僕にとっては貴重なチャンスとなった。
好きだった店のこと、店主やカレーの味を思い出しながらレシピを開発し、調理撮影し、原稿を書く時間は、幸せだった。
そんな時間が読者のみなさんにとって有益な情報として本書にアウトプットされているといいなと思う。
そして、今回の書籍制作は本当に勉強になった。
カレー本を30冊以上も作ってきたのにまだこんなに学ぶべきことがあるんだ、ということにも感謝と喜びを感じている。
   

カテゴリー: 僕はこんなカレー本を出してきた |

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。


*

CAPTCHA


▲UP