45冊目/幻の黒船カレーを追え

僕はずっと好奇心を大切にしてきた。
僕はずっと執着心を大切にしてきた。
僕はずっと探求心を大切にしてきた。 
その上で、
僕はずっと自分で考えるようにしてきた。
僕はずっと自分で経験するようにしてきた。
僕はずっと正解を求めないようにしてきた。
 
そんなスタンスでカレーの世界にいると、
なんと謎が多く、
なんと掘りがいがあって、
なんと魅力的で、
なんと難解で、
なんと張り合いがあるのだろう、と思う。
 
日本のカレーはどこからやってきたのだろうか。そのカレーはどんなものだったのだろうか。なぜ日本には独自のカレー文化が育ったのだろうか。ふとしたことがキッカケでその手の疑問がわき、あれこれと調べ、わからないから旅に出た。国内外、4年から5年かけてあちこちへ行った。とにかくエキサイティングだった。
その内容を一冊にまとめたのが本書だ。
本書は、どうカテゴライズしていいのかわからない本である。ノンフィクションのようでもあり、ルポのようでもあり、自伝的エッセイのようでもある。そして、そのどれでもない。
小学館から出版されたわけだけれど、最初にこの内容の書籍化があったのは、別の出版社だった。その担当編集者と内容について打ち合わせをするとき、僕は、全体構成を箇条書きにしたA4の紙で2ページ分のメモ書きを持っていった。こんなことがキッカケでこんな風に旅をし、こんなことを考えたんですよ。そのことをざっくり相談すると、返事があった。
「いいですね。では、その感じで水野さんが書きたいように書いてください」
僕は、不安だった。この手の本を書いたことがなかったから、僕は、自分がどの立場でどんなスタンスでどんなタッチで書くのがいいのかについて議論がしたかった。そのことも話した。
たとえば、その出版社から単行本で出すのいいのか、新書にするのがいいのか、さえ僕には方法論が見えなかったからだ。
「どちらでもいけますよ。僕は社内で話を通しておきますから」
頼もしいと言えば頼もしい返事だった。でも、僕はちょっと不満だった。これは最近、よくあることなのだけれど、「水野さんにお任せします」とか「水野さんがやりたいように」みたいな話がときどきある。先方からすれば、カレーの水野に気を遣ってくれているのだし、カレーのことで水野以上に何か意見を言えるほどの情報がないのだから、ということなんだと思う。
でも、仮にそれを書籍という形態で進めるのなら、僕は、出版社を通さずに自分でイートミー出版からやればいい。出版社と仕事をするということは、その会社や担当編集者のフィルターがいい意味でかかって、僕の意図しなかったような方向に本が成長することを僕は期待してしまう。
困ったな、どうしようかな。
この内容を僕はどうしても本にしたいと思っているわけではなかった。だから、余計に困った。そんなことを小学館の知り合いの編集者に相談したのだ。すると、彼は、あくまでも可能性として、あくまでも水野が判断できる範囲でという前置き付きでこう言った。
「その出版社からとりあえず出して、数年後にうちから文庫化するときに僕が編集に入って書き直すか、それとも最初からうちで出しませんか?」
ひとまず、僕は、前に打合せで使ったのと同じ2ページの紙切れを持って小学館近くの喫茶店で内容について話を聞いてもらうことにした。
30分ほど僕が内容を説明すると、その直後に編集者からよどみなく意見が出てきた。
本当に示唆に富んだ内容があれこれとあったのだけれど、かいつまんで覚えている範囲で書くとこんな感じだ。

***
まず、新書で出すのはもったいないからやめましょう。新書は、著者の肩書がものを言う世界。水野さんが、東大の教授だったら、読者は安心して読んでくれる。東京カリ~番長という肩書では、水野さんがどんなにいいことを内容として書いたとしても、読者の最初の読書スタンスが受け入れ態勢が整わないから、正確に内容を届けられる可能性が低くなってしまう。
単行本がいい。学術的な内容でカレーの秘密を暴く方向の本よりも、40歳の一人の男がカレーの謎にとりつかれて国内外を旅し、翻弄し、悩んだり嬉々としたりする等身大の姿を読んでもらう本にしたい。読者が読みたいのは、そこだと思う。
本の全体構成はこの感じでいいと思うけれど、たとえば、プロローグのスタートはイギリス・ロンドンのパブからがいいかな。どうして自分はこんなとこまで来てしまったのだろう、こんなところでいったい何をしているんだろう、という水野さんが語ってくれたその気持ちから入るのがいいんじゃないか。
***
などなど。
そう、僕は、僕が待っていたのは、こういう話だったのだ。編集者と仕事をするということは、こういう著者の僕には気が付かない視点をいろいろと織り交ぜてアドバイスや提案をもらえることなんだ。
僕は、その日の打合せで小学館からこの本を出そう、と決めた。先に話を進めていた編集者は、運のいいことに僕は昔からよく知っている人だったから正直にすべてを話して理解してもらった。彼も薄々そう感じていたのか、「残念ですが、そのほうがいい本になると思います」と言ってくれた。わがまま言ってすまなかったと今でも思う。
かくして、「幻の黒船カレーを追え」は世の中に出た。
すると、どうだろうか。思いもしなかった反響があったのだ。このノンフィクションともルポともエッセイともつかない、つかみどころのない本書について、たくさんの書評が出た。20以上は出たんじゃないだろうか。
これまで僕は自分の書いた本で公の場に書評が出るのは、1冊につき、多くても3つや4つくらいで、ほとんどのものはアマゾンのレビューや個人のブログに感想が出るレベルだったのだが、錚々たる書き手の方々が錚々たるメディアで本書を絶賛してくれたのだ。
どの書評を読んでも、たいていは僕が編集者と相談して、「これが届くといいね」と話し合ったことが正確に届いているようで僕はうれしかった。
カレーについて歴史をひっくり返すような事実や正解が書かれているわけではない。ああじゃないか、こうじゃないかとクヨクヨ悩みながらあちこちを移動して、月日をすごしていく一人の煮え切らない男の独白に共感してくれた人がいたことをうれしく思う。
僕はあの本で僕自身の活動が受け入れられたような気がしたのだと思う。
普段から、好奇心を持っていろんな角度から疑問やアイデアを生み出し、執着して探求して、自分で考え、自分で動いてきた。そうする一方で正解がなんなのかを自分が突き止めることにはこだわらないできた。正解はないかもしれないし、正解を見つけるのは僕じゃなくていい、とおもってきた。
極端に言えば、僕は自分が疑問を持って実際に動いてみた結果、手にしたものが不正解だったとしても、その不正解を大事にしたいと思ってカレー活動を行ってきたのだ。あの書評の数々に本当に勇気をもらった。
ただ、ひとつだけ残念だったことがある。それは、編集者のアドバイスの通り、今回の本で僕は初めてカレーと直接関係のないプライベートのことについて触れている。そんなにたくさんではないけれど、「等身大の水野を読者は読みたがっている」という部分に応えるために必要だと思ったからだ。僕が幼少期にどんな悩みがあったか、なんてことについて触れていたりもする。
ああいう部分に共感してくれた人も多いのだけれど、もし、僕にもっともっと筆力があったら、自分の内面をさらけ出さずとも、一人の男の旅のルポだけで、十分面白く読者をひきつける一冊になっただろう。伝家の宝刀とは言わないけれど、ちょっと掟破りに近い、一度は使えるけれど、二度は抜けない刀を抜いてしまったことについて、今も少しだけ思い返すことがある。
まだまだ僕は筆力が実力が足りていないんだな。もっと精進して、もっと魅力的な文章が書けるようにならなければ……。
その自分の能力の低さや限界をまざまざと見せつけられるのがわかっているから、それがつらくて僕は出版後、あの本をもう一度ひらいて読んだりすることから逃げている。まあ、仕方がないことなのかな。精進しよう。もっと上手に文章が書けるようになるまでは……。


カテゴリー: 僕はこんなカレー本を出してきた |

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