僕はこんなカレー本を出してきた

「本屋でカレー本コーナーを見ると、水野さんの本ばっかりですね」
と言われることがある。
「いったい何冊出してるんですか?」
と聞かれることもある。
多作であるということは、決して自慢できることではない。
何十冊も本を出さなくても、たった1冊カレー本を出しただけで、
永遠に語り継がれるような傑作を世に残せる人もいるだろう。
   
“多作”であることは、“駄作”であることの証なのかもしれない。
   
でも、これが僕のやり方だから仕方がない。
僕は書籍を偏愛している。
大好きだ。
カレーの本を出せるチャンスがあったら、常に全力を注ぎたい。
だからこそ、毎年、さまざまな出版社から書籍の依頼を受けるけれど、
自分のキャパシティで作ることができる書籍は、年に2冊か3冊が限度である。
そこから溢れる依頼はお断りしなければならない。
「来年以降、もし、またチャンスをいただけるのならぜひ優先したい」
僕はいつもそう回答するようにしている。
そして、出版依頼をいただいた編集者からのメールは、
またいつかご連絡いただけるときのために保存している。
そんな本が別の著者から出版されることがある。
僕がタイミング合わずお断りしたのだから、それは仕方ないことだ。
ともかく、僕は自分が出版した本について、様々な思いや狙いや情熱を持っている。
ただ、それをアウトプットする場は実はほとんどない。
だから、このカテゴリーで、過去に出版した本について思うところを
色々と書き連ねておきたいと思う。
本をつくる、ということに関する基本的な姿勢を僕は、
昔やっていたブログに綴ったことがある。
その内容をここに転載して、このカテゴリーの解説に添えたいと思う。

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最近、とある撮影現場でスタイリストさんに聞かれた。
「水野さんて、すごいたくさん本を出してますよね。一番好きなのはどれですか?」
こういう質問はなかなかないものだけれど、僕の答えは決まっている。
「一番新しい本かな」

“最新”の自分が“最善”を尽くした結果が“最良”の本となる。
必然的にそうなるものだと僕は信じている。
自ずとこれから先の未来に出す本は、今より良くなるに決まっている。
だから、僕はチャンスがある限り、新作を生み続けたいと思う。

でも……、
多作であることは、その分、苦しみも大きい。
最良であるはずの最新作は、世に出た瞬間から僕の中では“駄作”となるからだ。
ああしておけばよかった、なんでこうできなかったんだろう。
自分の作品を見るたびに反省点ばかりが頭にちらつく。
次こそは……。
その繰り返し。
かといって、多作をやめ、じっくりと時間をかけて次作に挑もうとは思わない。
「満を持して」という言葉は好きになれない。
たぶん、僕は一生、満を持すことはないから。

こういう僕の考え方について、昔から大きな自信を与えてくれる存在が、
ウディ・アレン監督だ。
そのドキュメンタリー映画「映画と恋とウディ・アレン」の試写会に行ってきた。
素晴らしい作品だった。

ウディ・アレンは、映画の脚本を書いているとき、
いつも「市民ケーンのような大変な傑作ができあがった」と盛り上がる。
ところが、撮影が始まると、避けがたい膨大な数の壁を前に打ちひしがれるという。
そして、“失敗作”を生み続ける羽目になる。

「傑作を作りたいと思っている。
でも傑作と自分との間に立ち塞がるのは、いつも自分自身だ」
このセリフには本当に考えさせられた。

あるプロデューサーがかつて、
「作品を毎年出すのではなく、2年に1度にしてみたらどうか?」
と提案したことがある。
「馬鹿げたことを……」
ウディ・アレンはハッキリと拒絶する。
かつて、彼は、インタビュー集の中で、
「僕はクッキーを焼くように映画を作り続けたい」と言っている。
「あのウディ・アレンが3年ぶりに満を持して新作を発表!なんてのはまっぴらだ」と。

レベルは違うけれど、ウディ・アレンのように創作し続けたいと改めて思った。
まるでクッキーを焼くようにカレーを作り続けたい(紛らわしい・笑)。
本当に素晴らしい作品だった。
この映画で最も衝撃を受け、これからの自分に大きな影響を与えそうなのは、
ウディ・アレンがカンガルーとボクシングするシーンだけど、
その理由は、自分の中に留めておくことにしよう。
また僕はウディ・アレンから大きな勇気をもらった。
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